『二十五、二十一』心地よさの正体は“距離感”? 説明のいらないヒドとイジンの関係

 「心で借金は返せない」。コ・ユリム(ボナ)が母親(ホ・ジナ)に言い放ったセリフだ。人の気持ちでお金は湧き出てはこない。けれども、誰かを喜ばせたい、悲しみを分け合いたい、幸せを願いたい…...。お金では買えないものに救われることだってある。IMF危機で多くを失った人たちも、誰かの心が誰かの心を助け、支え合って乗り越えてきたんだとコロナ禍にいる私たちへのメッセージにも思えたNetflixで配信中の韓国ドラマ『二十五、二十一』の第9話と第10話。

 韓国語で「ウリ」とは、“私たち”や“我々”を意味する代名詞だ。韓国ドラマでもよく耳にするが、「ウリ〇〇」とは「うちの〇〇」と捉えられ、家族や恋人、仲間など親しい間柄という現れでもある。例えば、ナ・ヒド(キム・テリ)の成績順位を探しながら「ウリヒドは……」と笑みをこぼすペク・イジン(ナム・ジュヒョク)にとって、ヒドは特別な存在だ。アジア大会で非難されたヒドを「つらかったでしょう、ウリヒド」と抱きしめるユリムの母親は、自分の娘のように傷ついた心を悲しんだ。この「ウリ」によって、どれだけ相手を思っているか愛情の深さや重みが変わってくる。確かなのはヒドが想像している以上にヒドの味方がいることだった。

 ようやくこの時を迎えたヒドとユリム。ユリムの陰口を叩く学生に憤慨し掴み合いのケンカを始めたヒドに、ユリムは堪らず自分が“インジョルミ”であると打ち明けた。ヒドに冷たく当たったことを後悔するあまりウエーンと泣き出すユリムも、もどかしくてイジンの前でイヒンと泣きべそをかくヒドも気持ちいいほどにバカ正直だ。だけど、取り繕う術も知らない“本当の気持ち”をぶつけ合うことがヒドとユリムの始まりでもあった。ヒドとユリムとして友情がスタートした日、指切りをした2人の手の平には同じ場所にかすり傷があった。まるで、これからは同じような傷をつけ合わないと約束するかのように。

 イジンは「俺を信じろ」と繰り返しヒドに伝えていた。てんやわんやのヒドに「やれやれ」「まったく」と吐き出しながらも何だか嬉しそう。はっきりしない関係性に名前を付けようとするヒドに対し、関係性に悩んだことはないと言うイジンは、ヒドの隣にいることがすでに“愛”だと知っていたのだろう。

 ヒドは2人の関係を“虹”と名付けるが、イジンは「愛だ」と答える。「ヒドが少しでも幸せになるなら他に何も願わない」と見返りを求めない愛に明確な関係性は必要なかったのだ。2人がいればそれでいい、そこには説明などいらない“愛”が存在するのだから。言葉にせずとも、ヒドに向けた迷いのない愛情を眼差しだけでも物語っていたペク・イジン扮するナム・ジュヒョクの演技は心に残るものだった。

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