リドリー・スコット監督による一大巨編 『ハウス・オブ・グッチ』は哲学的な問いに迫る
その他、グッチ一族を演じた豪華キャストも素晴らしい。パトリツィアのささやきに翻弄され続け、親族を裏切るはめに陥ってしまうという、複雑な男の感情を複雑なままに演じきったアダム・ドライバーをはじめ、その父親役として、家の中でも最大限にめかし込み、枯れた伊達男の魅力を見せつけるジェレミー・アイアンズ、マフィアファミリーのボスのような、周囲を萎縮させる圧力たっぷりの演技で観客を魅了し続けるアル・パチーノ、なぜか特殊メイクで不恰好な姿に変身し、終始愚鈍な振る舞いを見せるジャレッド・レト……。実在の人物をモデルにしているにもかかわらず、容赦なくそれぞれのキャラクターが誇張されているところに、圧倒されるとともに思わず笑ってしまうのである。
さらに、サルマ・ハエック演じる、パトリツィアの裏でアドバイスをする怪しい占い師や、カミーユ・コッタン演じる、恋愛のライバルとなるモデル出身の女性などなど、不謹慎ながらワイドショーに話題を提供するために登場しているんじゃないかと思わせるような、強烈な登場人物たちが次々に登場するのが楽しい。これが老舗ハイブランドに起こった実話を基にしているとは到底信じられないくらいに、この一連の物語は下世話な面白さを含んだ、一つのエンターテインメントとして完成されているといえよう。
すでに80代に達しているリドリー・スコット監督が、これほど通俗的な内容を嬉々として撮りあげているという事実も驚異的だ。フランスのプロヴァンス地方にワインのための農園を所有しているリドリー・スコットは、60代の終わりに『プロヴァンスの贈りもの』(2006年)で、拝金主義的な価値観を否定し、ロハスやスローライフを掲げることになった。多くの監督ならば、そのまま小さなスケールで個人的な趣味を活かした映画にシフトしていったかもしれないが、多くの伝説的作品を手がけてきた彼は、その後も『悪の法則 』(2013年) や『ゲティ家の身代金』(2017年)など、金や犯罪にまつわる世俗的な娯楽作をアグレッシブに描くことをやめていない。そればかりか、よりそちらの方に向かっている感すらあるのが頼もしいところだ。
そして本作は、他のリドリー・スコット作品がそうであるように、ただ娯楽として消費するだけのものにはなっていない。この一連の出来事を通して、ブランドや伝統というものが、本質的な意味で、時を超えて存続することが可能なのかという、厳しい問いを突きつけてくるのである。それは、過去の名作映画とのリンクを見せる部分であるといえる。
ルキノ・ヴィスコンティ監督がイタリアの貴族社会の没落を描いた『山猫』(1963年)では、「変わらずにいるためには、自らが変わらなければならない」という名言が語られた。マウリツィオ・グッチは、その言葉に従うかのように、当時新進気鋭の若者であったトム・フォードにデザインを委ねるという英断をする。そして、このような刷新は、「伝統を受け継いでいる」とアナウンスしながらも、時代に合わせ大なり小なり、多くのブランドが定期的に行なっている作業である。とはいえ、この種の革新が繰り返され、創業の一族すら消えていった先に、ブランドがそのブランドである必然性が存在し得るのだろうか。人々がグッチのカバンや靴の新作を手にしたとき、それは果たして真に「グッチ」と呼べるものなのか。この問いは、もはや哲学的ですらある。
ジャン・ルノワール監督の戦争映画『大いなる幻影』(1937年)では、戦場で敵国同士のはずのフランス人将校とドイツ人将校が親しげに会話を交わす場面がある。この二人はともにそれぞれの国の貴族の血筋なのだ。「あなたも私も、時代の流れは止められない」「どちらが戦争に勝っても、われわれ貴族階級の時代は終わるだろう」と、二人は自嘲的に語り合う。ここで、エリッヒ・フォン・シュトロハイム演じるドイツ人将校が誇りにする貴族の高貴な魂は、暴力的な時代のなかで終焉を迎えるというのである。
本作『ハウス・オブ・グッチ』もまた、外資や株式というパワーゲームに翻弄されることで、創造性やプロダクトとは関係のない無粋な要素によって衰亡し、ブランドとしての名を剥奪される顛末が映し出される。グッチ一族は、もちろんいまも現実の世界に存在しているが、ブランド売却時の契約によって、自分の名前「グッチ」を作った仕事ができないのだという。
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」……『平家物語』に表現された、海の中に次々と飛び込み、歴史から姿を消すこととなった平家一族の運命のように、栄華をきわめたグッチ一族もまた、時代の波に飲み込まれた。その結末までの道のりを縮めたのは、たしかにパトリツィアに他ならない。だが、彼女のたくらみが実を結ばなかったとしても、遅かれ早かれ、“そのとき”は訪れていただろう。
しかし「グッチ」の名前は、これからも世に残り、成功や富の象徴として、人々の憧れの対象であり目標であり続けるはずだ。そこにグッチ一族がいようがいまいが、もはや問題にされることなどなく、巨大なビジネスは猛スピードで進み続ける。その意味において、“ブランド”の名前とは、まさに「大いなる幻影」といえるのかもしれない……。『ハウス・オブ・グッチ』は、そんな一つの問いの行方に迫ろうとする一作なのだ。
■公開情報
『ハウス・オブ・グッチ』
全国公開中
監督:リドリー・スコット
出演:レディー・ガガ、アダム・ドライバー、アル・パチーノ、ジャレッド・レト、ジェレミー・アイアンズ、サルマ・ハエックほか
脚本:ベッキー・ジョンストン、ロベルト・ベンティベーニャ
原作:サラ・ゲイ・フォーデン『ハウス・オブ・グッチ 上・下』(実川元子訳、ハヤカワ文庫、2021年12月刊行予定)
製作:リドリー・スコット、ジャンニーナ・スコット、ケヴィン・J・ウォルシュ、マーク・ハッファム
配給:東宝東和
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