『カムカムエヴリバディ』は朝ドラの教科書に? 藤本有紀とタランティーノ作品の共通点

『カムカムエヴリバディ』は朝ドラの教科書?

 藤本有紀が脚本を担当する連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『カムカムエヴリバディ』(NHK総合、以下『カムカム』)が、話を重ねるごとに凄みを増している。

 『カムカム』は、親子三代100年の物語で、日本でラジオ放送が始まった1925年(大正14年)に生まれた安子(上白石萌音)の物語から始まり、娘のるい(深津絵里)、孫のひなた(川栄李奈)という3人の女性の人生を描いた朝ドラとなっている。

 第1話~第38話までは安子の物語が展開され、第38話末から時代は1962年に移り、るいの物語がスタートしている。戦前から戦後にかけて、めまぐるしく時代状況が変わっていった安子編に対して、るいの物語はゆったりとしており、1962年の物語が淡々と進んでいく。

 大阪のクリーニング屋で、住み込みで働くことになったるいは、トランペット奏者のジョーこと大月錠一郎(オダギリジョー)という青年と出会う。宇宙人のようなジョーとるいの浮世離れしたラブストーリーを軸に物語は少しずつ進んでいくのだが、安子編でも重要なアイテムとして描かれていたラジオの存在がとても印象に残る。

 本作におけるラジオの役割は、時代状況を知らせる「もう一つのナレーション」となっている。城田優による英語と日本語で語られるナレーションは「むかしむかし」という優しい語り口に象徴されるように、この物語が“おとぎ話”なのだと強調するものとなっている。対して時代状況の説明に関しては最小限に抑制されている。

 ラジオドラマの影響が強い朝ドラは、ナレーションを用いて物語を進めていく映像表現だ。そのため、どうしても語りが過剰になってしまい、作品によっては悪目立ちしてしまう。宮藤官九郎脚本の『あまちゃん』や岡田惠和脚本の『ひよっこ』は、朝ドラのナレーションが持つ饒舌さ自体を「笑い」にすることで作品の魅力に変換していたが、本作は時代背景の説明をラジオやテレビから流れる音声に託すことで、時代状況の説明を違和感なく展開できている。

 クエンティン・タランティーノの映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(以下、『ワンハリ』)でもラジオから流れるニュースが時代背景を伝える情報としてさりげなく使われていたが、『カムカム』で藤本有紀が展開するアプローチは、タランティーノ作品との共通点が多い。

 『ワンハリ』では西部劇が時代に取り残された男たちの象徴として扱われていたが、『カムカム』では時代劇が同じ役割を果たしている。それはジャズに関しても同様だ。るい編で描かれる1962年は、これから高度経済成長を向かえて日本が豊かになっていく明るい気配が漂っているが、本編でるいたちが触れる昔ながらの時代劇やジャズは、やがてメインストリートからこぼれ落ちていくものだ。

 波乱万丈だった安子編にくらべると何倍も平和で穏やかだが、どこか儚げに見えるのは、節々に終わりの気配が漂っているからだろう。

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