菊地成孔の『パワー・オブ・ザ・ドッグ』評(前編):絵に描いたように<古くて新しい>傑作

菊地成孔『パワー・オブ・ザ・ドッグ』評前編

 冒頭から鳴り始めて観客の心を鷲掴みにし、要所要所で的確に鳴らされる音楽は、最後まで掛け値無しに素晴らしい。アコースティックギターのソロ、弦楽四重奏、両者の共演の3パターンだが、特に冒頭のギターソロは、(黒人奴隷の末裔が演奏する、ブラックミュージックの源流としての)デルタブルースとも、商用カントリーとも違うモダンかつ土着風なもので、「これはネイティヴアメリカンの民族音楽を現代音楽の作曲家がトレースしたものです」と言われれば信じてしまうであろう奇妙で美しいリズムとハーモニーを刻み、続く弦楽はバルトークやヒンデミットに似て、ロマンティックな甘いメロディもハーモニーも一切鳴らさずに、録音の素晴らしさで、静かに圧倒する。

 担当は、ジョニー・グリーンウッドである。映画マニアには『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ファントム・スレッド』等々での、非常に奇妙で美しいOSTが記憶に新しいかもしれない。両作とも、音楽賞として、ベルリン銀熊、英国アカデミー、米国アカデミー、グラミーという、錚々たるアワードゲッターであり、英国コンポーザー・イン・レジデンスとして招かれ、オーケストラ作品を作曲。それ以降も委嘱を受け、2020年、ヴァイオリンと弦楽合奏のための『Horror Vacui』で「アイヴァー作曲賞/大編成オーケストラ部門」を受賞している。「耽美派回帰殺人スリラー」の映画をやる人じゃない笑(そして、多くの洋楽ファンには一言「そう、これ、レディオヘッドのメンバーである、あのジョニー・グリーンウッドなんですよ」とだけ)。

 うわあ、音楽だけ聴いても『ピアノ・レッスン』『ブロークバック・マウンテン』のベタよりも遥かにストイックでシリアスではないか。さらに襟は正される。<西部劇の形式を借り、ジェンダー、エスニシズム、セクシャリズム、フェミニズム、階級、共同体、あらゆるダイバーシティ成立の困難さと、その超克の勇気、そして挫折を描く、純文学を原作にした、アメリカ史に忠実(それを西部劇ではやり直せる。日本における時代劇のように)な、アカデミー賞の作品賞レースに食い込んでいるらしい、最新の文芸作品>が始まる。予感は傑作しかない。

■配信情報
Netflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
Netflixにて独占配信中
監督:ジェーン・カンピオン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー
KIRSTY GRIFFIN/NETFLIX (c)2021 Cross City Films Limited/Courtesy of Netflix

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