『呪術廻戦』乙骨憂太と虎杖悠仁は成長の仕方が逆? 物語における2人の主人公を考える

 現在公開されている『劇場版 呪術廻戦 0』。その興行収入は公開11日間で58億円を突破し、今後もさらに伸びていくように感じる。2020年10月よりアニメで放送されていた、虎杖悠仁を主人公とする『呪術廻戦』の舞台から約1年前の出来事を描いた前日譚である本作。少女・祈本里香に呪われた青年・乙骨憂太が呪術高専に入学し、仲間とともに成長する物語となっている。もともと『劇場版 呪術廻戦 0』の原作にあたる『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』(全4話)が好評だったため、『週刊少年ジャンプ』(集英社)での連載が始まった『呪術廻戦』。言ってしまえば、乙骨は虎杖より前の“主人公”だった。作者の芥見下々は『0巻』を終えた時点では長期連載は考えていなかったと単行本のあとがきに書いている。そのため、虎杖は乙骨を作り直したというより全く異なる存在として生まれた主人公なのだ。しかし、その中に潜む相違点は非常に興味深いものである。

 わかりやすく、乙骨と虎杖は容姿や性格が全く違う。むしろ、正反対と言っても過言ではない。乙骨の目元には常にくまがあり、自信なさげに伏目がちな様子で周囲の人間とのコミュニケーションを自ら断絶しようとしている(まあ、原因は里香ちゃんなんだけど)。一方、虎杖は中学時代から「西中の虎」などの異名を持つ一種の有名人でもあり、コミュニケーション能力が極めて高いから誰とでも話せる。そして乙骨はいじめられていた側なのに対して、虎杖はいじめっ子をボコボコにしていたタイプだ(まあ、乙骨の場合も里香ちゃんがボコボコにするんだけど)。なにより、劇場版で乙骨がもともと病弱で非力だったという追加描写があり、宿儺の指を取り込む以前から人間離れした力を持っていた虎杖とはそういった面でも大きな差があることがわかる。周囲を拒絶した乙骨、周囲を受け入れ続けてきた虎杖。しかし、興味深いことに二人は各々の物語が進むにつれて“逆転”していくのだ。乙骨は仲間との出会いを通して、周囲に受け入れられると同時に自分も周囲を受け入れることを学ぶ。一方、虎杖は後に起こる、ある“事変”をきっかけに一時期、周囲と自分を断絶しようという気持ちになるのであった……まるで、かつての乙骨のように。

“死”に対する受け入れ方の相違

 そもそも、この二人は身近な人間の死をきっかけに運命が大きく変わっていくという点で似ている。乙骨の場合は、幼い頃に目の前で不慮の交通事故死を遂げた里香、虎杖の場合は入院していた祖父。死という意味では同じ出来事ではあるが、この二つの死には大きな違いがある。“受け入れ方”だ。里香の死は予期せぬ惨いものであり、だからこそ乙骨はそれを拒絶した。結果、“その”呪いによって里香は呪霊になってしまう。一方、虎杖も別にその日に祖父が死ぬなんて思ってもいなかった。それでも長い入院生活があったこと、そして最後の会話の中で「悠仁、最期に言っておくことがある」「死ぬ前にカッコつけようとすんのやめてくんない?」というやりとりがあったように、二人はお互い“心の準備”ができていたように思える。だからこそ、それを受け入れられたし、その後、祖父の死を「正しい死(人生を全うした死)」、先輩の死を「間違った死」と理解したのではないだろうか。乙骨も虎杖も「正しくない死」を目の前にしていた。ただ悲しいことに、乙骨は虎杖のように「間違った死」を“救う”ことができなかっただけなのである。そこから二人は先述のように、マイナスとプラス、陰と陽のような対比的な存在になっていく。

 しかし、それでも彼らには「死」に対して共通的な考えがある。「自己犠牲を厭わない」というものだ。二人とも、里香に両面宿儺にと、“自らが受けた”呪いのせいで秘匿死刑が決定される。そこで乙骨は自分が周りの人間を傷つけるから死刑になることを望んでいたし、虎杖も最初、目の前の先輩や伏黒を助けるために自ら呪霊の前に飛び出し、応戦した。この時点で、「周りのために自分が犠牲になっても(死んでも)いい」という考え方は似ているのだ。その後、乙骨は夏油傑との対決の最終局面で自らを生け贄として呪力の制限解除をする。虎杖も、少年院で釘崎野薔薇や伏黒を助けるために先に行かせ、明らかに敵わない特級呪霊に対して“時間稼ぎ”をしていた。

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