“売れない表現者”のシビアな問題を描く 『tick, tick... BOOM!』にみる“真のアーティスト”の姿

 「英雄、英雄を知る」という言葉がある。『レント』を手がけたラーソンのテーマを舞台人として受け継いでいるように見えるリン=マニュエル・ミランダは、まさに本作の舞台版から誰よりも正確に意図を汲み取って提示できる、数少ない存在だ。それを証拠に、本作に託された舞台への熱意は、観る者の心にダイレクトに届くものになっている。

 スケール感やシーンごとの映像の完成度という意味では、まだ経験不足な面が露呈してしまっているものの、ミュージカルにありがちといえる人工的な光景をほぼ作らず、通常の劇映画のようなスタイルで空気感をとらえた自然な撮影に果敢に挑んでいるのが、本作の特徴といえるだろう。ミュージカル映画の本道というよりは、むしろ舞台的なセンスが活かされた映画作品というバランスになっているかもしれない。しかし、ここではそれが危機迫る印象を与え、主人公の絶望を深く表現することになっている。

 プールで泳いでいるうちに新しい曲のイメージが湧き上がってくるという“創造的”な幻想シーンは、その中で例外的といえるものであり、人生の中で何度とない、圧倒的なひらめきを得る瞬間として、かえって説得力を持つこととなった。これは、同じように作曲を手がけ続けているリン=マニュエル・ミランダだからこそ提示ことのできるマジカルな演出といえよう。もちろん、成功することは駆け出しの表現者にとって何よりも重要なことだが、この一瞬を感じるため、芸術家は作品に向き合い続けているともいえるのだ。

 優れたクリエイティヴィティと、燃え上がるような野心がぶつかった、最高の成果物。だがそれが、必ずしも世に認められるとは限らない。ラーソンのSFミュージカル『Superbia』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』を下敷きにした、意義深い野心作であったようだが、それは必ずしもラーソンが、当時手がけなければならない題材ではなかったかもしれない。

 ラーソンが舞台版の『チック、チック…ブーン!』で表現したのは、本作同様に『Superbia』に打ち込んでいたときの自身の物語だ。そこで彼は、自分が住んでいる場所で何が起こっているのか、友人や恋人が、忙しく動き回る自分の周囲で何を思っていたのかに目を向けたことを表現する。ラーソンには、その時代、その場所に生き、貧しい生活を送っていた自分だけが到達できるテーマがあったのだ。その後、そんな題材をさらに洗練させ、より普遍的なものとして描いた『レント』が大ヒットするのである。

 求める芸術が、すぐ身のまわりに存在していたという、「幸せの青い鳥」のような寓話的なストーリーだが、ラーソンが『Superbia』に全てを投入した時期は、けして無駄なことではないはずだ。なぜなら“真のアーティスト”とは、精神的な旅を繰り返し、何度もさまようことで“芸術の魂”を獲得するからである。とはいえ、ほほえましく感じるのは、本作の舞台で『Superbia』や、その完成までの苦労のエピソードを紹介することで、結局は直接的な意味でも無駄にはしなかったということである。

 ラーソンを演じ、全編で歌を披露しているのは、近頃『メインストリーム』(2020年)でもエンターテイナーとしての実力を見せたアンドリュー・ガーフィールド。雰囲気がラーソンに似ているところがあり、親しみやすく愛らしい雰囲気のなかにも、繊細で神経質な部分を感じられるのが彼の持ち味である。

 ミュージカルは初の挑戦ということもあり、本職のミュージカル俳優ほどの洗練は感じないにせよ、それでも主演を張って文句が出せないほどの質を持った歌声を、本作で堂々と響かせている。少なくとも、いまの映画界では、ガーフィールド以上のレベルで、この役を演じられる者はいなかっただろう。

■公開・配信情報
『tick, tick… BOOM!:チック、チック…ブーン!』
一部劇場にて公開中
Netflixにて独占配信中
監督・プロデューサー:リン=マニュエル・ミランダ
脚本:スティーヴン・レヴェンソン
出演:アンドリュー・ガーフィールド、アレクサンドラ・シップ、ロビン・デ・ヘスス、ジョシュア・ヘンリー、ジェディス・ライト、ヴァネッサ・ハジェンズ、ブラッドリー・ウィットフォード
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