『彼女が好きなものは』が取り入れた新たなアプローチ ドラマ版とは異なる後味に

『彼女が好きなものは』ドラマとの違いは?

※作品の内容および結末、物語の核心に触れる記述が含まれています。

 「ゲイ」であることを隠している「僕」と「腐女子」であることを隠している「彼女」を、近年注目を集めている若手俳優、神尾楓珠と山田杏奈がそれぞれ演じていることでも話題の映画『彼女が好きなものは』。このタイトルには続きがある。「……ホモであって僕ではない」。そう、2018年に出版され、2019年には『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK総合)というタイトルのもと全8回のドラマとして映像化され好評を博した、浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』の満を持しての映画版――それが本作『彼女が好きなものは』なのだ。

 金子大地と藤野涼子の瑞々しい魅力はもとより、原作小説にも盛り込まれていた ロックバンド、クイーンの楽曲をふんだんに使用しながら(そう、当時は日本でも記録的なヒットとなった映画『ボヘミアン・ラプソディ』の興奮も冷めやらぬ頃だった)、「苦悩」と「痛み」に満ちた青春物語を爽やかに描き出してみせたドラマ版。それがあまりにも素晴らしかったがゆえに、どうしても比較してしまうことになるのだけれど(参考:「小説の衝撃をドラマに昇華 『腐女子、うっかりゲイに告る。』が描いた世界を単純化しないこと」)……果たして今回の映画版は、約2時間という限られた時間の中で、この原作小説から何を抽出し、描き出そうとしているのか。結論から言うならば、同じ物語でありながらも、それを潜り抜けたあとの印象が、原作ともドラマ版とも少し異なるような――そんな映画になっているのだった。

 自分が「ゲイ」であることを周囲の人々に隠しながら、妻子持ちの年上の男性・佐々木誠(今井翼)と逢瀬を重ねる「普通ではない」高校生・安藤純(神尾楓珠)。彼はひょんなことから、クラスメイトである三浦紗枝(山田杏奈)の「秘密」を知ることになる。周囲の人々には隠しているけれど(なぜなら、それによって彼女は、かつてクラスメイトから心無い言葉を浴びせられ、深く傷ついた経験があるから)、彼女は「BL=ボーイズラブ」をこよなく愛する「腐女子」なのだ。最初は興味半分で紗枝に近づいていった純だけど、紗枝のほうは自分に対して「普通ではない」態度で接してくれる純のことが、だんだん気になるようになってゆき……ついには「告白」することになるのだった。

 というように、物語の骨子は基本的に同じである。2人がバッタリ出会った本屋、初めて一緒に出かけたイベント、水族館、同級生たちと連れ立って向かった遊園地、観覧車……そして、衝撃の事実が発覚する温泉施設、最後に訪れることになる「ファーレンハイト(磯村勇斗)」の家など、2人がめぐることになる「場所」も、原作はもちろんドラマ版とほぼ同じである。けれども、それを潜り抜けたあと、観る者の心に残る印象が、そのいずれとも違うのだ。いみじくも本作のキャッチコピーが示しているように、「ゲイ」と「腐女子」が消え去って、「わたし」と「あなた」が、よりいっそう強く浮かび上がってくるような――そんな映画になっているのだ。

 自身もその当事者であるという作者が、敢えて用いた「ホモ」という言葉が、「腐女子」と「ゲイ」いう言葉に変わり、そしてそのいずれもが消え去ったように、本作『彼女が好きなものは』は、その「入り口」から「普通ではない」ものをすべて抜き去っている。というか、このタイトルにこそ、本作の監督であり自ら脚本も手掛けている草野翔吾(『世界でいちばん長い写真』、ドラマ『消えた初恋』(テレビ朝日系)etc.)の「思い」が込められているのだろう。消え去ったものは、もうひとつある。クイーンの音楽だ。原作同様、純が愛聴しているアーティストとしてその名前は登場するものの、その音楽はこの映画の中では流れない。クイーンの音楽の力を借りずに――もっと言うならば、フレディ・マーキュリーの人生を重ね合わせることなく、近づいては遠ざかる2人の関係性を描くこと。それがある意味、この映画の大きなチャレンジのひとつだったのだろう。

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