菊地成孔の『イン・ザ・ハイツ』評(後編):脚本構造におけるリアルとファンタジーの合成

菊地成孔の『イン・ザ・ハイツ』評(後編)

第3回『イン・ザ・ハイツ』(ジョン・M・チュウ監督/2021年7月20日公開)/ミュージカルが持つエネルギーと、移民問題が持つエネルギーの衝突とその結果(後編)

前編:菊地成孔の新連載「映画蔓延促進法」スタート! 第1回『イン・ザ・ハイツ』(前編)
中編:菊地成孔の『イン・ザ・ハイツ』評(中編):掛け値無しに素晴らしい音楽について

相反する力学の場における脚本の意義

 『ハミルトン』はオリジネーターというより、いささかパンドラの匣めいていて、<以後、「移民問題ミュージカル」「社会問題ミュージカル」は、折衷様式のイージーなストーリーラインしか引けなくなるかもしれない>という危惧を、なんと当事者(作者)にまで喰らわせている。ということが、前・中編を通じてご理解いただけたと思う(そして、本作が「折衷様式」であろうと、音楽と踊りが明確なAランクにいることもーーただ、歌唱、特に、オペラだとアリアに当たる「主人公の独唱(とラップ)」には音程修正の跡が明確に残り、これは「USメジャーでは、ちょっとオートチューン感がある方が普通」という積極策であると好意的に判断するが、生の熱演が基本のミュージカルでは、まだ「冷たく」感じる。ちなみに『グリー/glee』はテレビドラマというメディア上、ギリギリで切り抜けている。この点も決して小さくない問題として指摘しておきたい)。

 そして、ミュージカルも社会問題(ここでは複合体化された移民問題)も、単体ではシンプルで強く、作用と反作用にも似たベクトルの正反対さを持つが故に、作品を引き裂き、どちらかの力が観客を感動させているタイムラインの裏で、もう一つの力が観客に居心地の悪さを感じさせ続けてしまうことは本作でも顕である。アメリカの発展と内的な瓦解の同義的並走はこうして続く。

 音楽とダンスだけではなく、衣裳デザインや撮影まで、ミュージカル映画のカード全てが素晴らしい本作が、よしんば折衷様式のイージーウエイだとしても、それは「ハミルトン組」として、覚悟の上であろう。イージーウエイのあられもないシンプルさは、ポップさに直結する通路を持つ。

 もっとたくさんの移民たちが親近感を抱くように、それはニューヨーク市のワシントンハイツを超えて、世界中の移民たちに、世界中のマイノリティたち(反作用的に、マジョリティたちに向かってさえ)に広がって行くように。ポップの目的は、そこ一点に過集中している。

 改めて、単なる劇映画と比べるに、基本的に「お手盛りのご都合主義的展開(ツッコミどころ満載)」が許される、というより、歴史的に「話なんか薄い方が良い(歌とダンスが映えるから=「緻密な脚本」は、安心したミュージカル鑑賞を妨げる。つまり「歌の歌詞」に脚本効果のほとんどが移譲され、ダイアログではなくリリックで、生活言語ではなくポエジーで物語を紡いでゆく)という、「オペラ」の属性をそっくりそのまま受け継いでいる特殊ジャンルである「ミュージカル映画」としての本作の脚本は、如何なるものだろうか? なにせ時は、『ウエスト・サイド・ストーリー』から半世紀以上も経っているのだ。



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