『おかえりモネ』が描いた当事者/非当事者の関係 “痛みを想像すること”で見えるもの

『おかえりモネ』痛みを想像して見えるもの

 いよいよあと2週となった『おかえりモネ』(NHK総合)。通してみると、このドラマが当事者と非当事者が共にどう生きていくのかが描かれていると思える。

 主人公の百音(清原果耶)は、2011年の東日本大震災のときに受験で故郷の気仙沼・亀島にいなかったことで、島にいた同級生や家族、特に妹の未知(蒔田彩珠)との間に微妙な距離を感じていた。それは、自分は島で震災を体験した当事者ではないと感じての距離であった。そのため、高校卒業後は島を出て登米の森林組合で働き始め、そこで天候を知ることで誰かを救えるのではないかと考え、気象予報士を目指すこととなる。

 この登米で出会った医師の菅波光太朗(坂口健太郎)もまた、自分は当事者ではないと考えている人物であった。それがわかるのはもっと後であるが、彼が新人のときに担当したホルン奏者の患者の人生を、自分の提案が元で変えてしまったのではないかと、いつまでも心にひっかからせていた。

 震災時、百音とともに仙台にいた百音の父親・耕治(内野聖陽)もまた、非当事者側として描かれる。彼の場合は、銀行員の自分のアドバイスのせいで、学生時代からの親友で漁師の及川新次(浅野忠信)の人生を変えてしまったことに責任を感じていた。

 百音や菅波や耕治は、非当事者であり、そのことで誰かを傷つけてしまったり、どこまで人に寄り添っても当事者との距離があるということで、別の意味で傷ついてもいた人である。

 しかし、このドラマには、当事者でも非当事者でもない、その間の人もいる。百音が気象予報士の資格を取り働くこととなったウェザーエキスパーツという会社の気象キャスターの神野マリアンナ莉子(今田美桜)は、気象情報を視聴者に伝える上での「説得力」が足りないことに悩むようになる。

 莉子の周りには、当事者が多い。百音は震災時に地元の気仙沼にはいなかったが、仙台で震災を体験した当事者であり、その経験から、気象予報で誰かを助けたいという明確な意思を持っているし、先輩の気象キャスターの朝岡覚(西島秀俊)もまた、自身が「風の神」と称された駅伝選手であったが、気象の変化のせいで棄権をしてしまったという過去を持っている。

 そんな当事者たちを見て、莉子は自分には傷ついた経験がないから、伝えるときに説得力がないのだと悩んでしまっていた。ここにはもう一つ、莉子が本人の意思とは別に、周囲の思惑として「若くてかわいい」という理由で起用されてきたという面があり、その壁にぶちあたったということも関係していた。しかし、莉子に対して、気象班デスクの高村沙都子(高岡早紀)は、自分にも同じように「若い女性である」ということを消費された経験を持っていたため、莉子に「自分で自分を貶めるのをやめなさい」とアドバイスし、後に彼女のための道を示す。

 女性が社会で壁にぶつかったという意味では、莉子や沙都子だって当事者なのだと思える場面であった。

 しかし、こうした当事者、非当事者であると突き詰めて考えることは、とても苦しいことだ。けれど、そのことに少しだけ光が見えるシーンもある。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「国内ドラマシーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる