『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が支持される理由 「愛を知る」物語から紐解く
京都アニメーションが手がけた『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』が、日本テレビ系『金曜ロードショー』で2週に渡って放送される。
まず10月29日にはTVシリーズを再構成した「特別編集版」を、翌週11月5日に映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 ー永遠と自動手記人形ー』を本編ノーカットで地上波初放送する。
今回特別編集版を監修するのは、2018年に放送されたTVシリーズを手がけた石立太一監督だ。ストーリーの序章にあたる第1話から第3話と、ファンからも人気の高い第7話、第9話、第10話の3話を組み込んだもので、同作の魅力を濃縮した内容になるとのこと。
2003年から初の元請制作のテレビアニメ『フルメタル・パニック? ふもっふ』を制作して以降、30作品近く生み出してきた京都アニメーション。そのなかでも本作は、あらゆるメディアやSNSなどで「京都アニメーションの最高傑作」として評されている。そのように評される理由として、劇場アニメの好評価も相まって、アニメファンや評論筋だけではなく、アニメ作品にあまり関心を持たなかった層や国外アニメファンからも賞賛されていることも含まれているようだ。
「人気のアニメ作品はなにか?」という質問をされると、アニメファンの頭によぎるのはお約束といえるテンプレートや共通認識、独特のコードが相手にどこまで通じるか? という部分だろう。金髪のお嬢様はツンデレであるとか、寝坊をしたときには食パンをくわえながら走る……のような、そのキャラクターデザインの奇妙さを自然と受け取れるかどうかだ。
本作もそういったテンプレートや独特のコード性はあるものの、それ以上に様々な視聴者の心を大きく揺るがす魅力に溢れている。それはなぜだろうか、本作のあらすじ・出だしのストーリーから物語のコアを見つけてみよう。
舞台は大陸戦争真っ只中にあるライデンシャフトリヒ。ギルベルト・ブーゲンビリアは陸軍の隊長として指揮を取っていた。そんななか、兄のディートフリートが彼のもとに現れ、一人の少女を引き渡すことになる。
少女は親も知らないままに保護された戦争孤児で、その後は戦地で戦う兵士として育てられ、「武器」「道具」とも称されるほどの非常に高い戦闘能力を持つ女子兵士だった。
出会った当初は、言葉や文字を理解しておらず、人の心をまるで理解出来ないような状態であったその少女に、ギルベルトはヴァイオレットと名前をつけた。戦場を共に渡りあるき、同時に言葉や規律などを教え込み、共に行動することが増えていく。
上司であるギルベルトに絶対的な忠誠心をもっていたヴァイオレット。しかし、とある戦いの中でギルベルトは致命傷とも言える怪我を負ってしまう。また、ヴァイオレットも両腕を切断するほどの大怪我を負い、激化した戦場のなかでそのままギルベルトの行方が分からなくなってしまった。
4年に渡った戦争は終わりを告げ、ヴァイオレットは両腕の負傷もあり病院での療養生活を送っていた。そこにギルベルトとも旧知だった元陸軍中佐のホッジンズが彼女の前に現れ、2人はともに港町・ライデンを訪れる。ヴァイオレットはホッジンズが経営するC.H郵便社で働き始めるが、周りとうまくコミュニケーションができないままで浮いた存在になりかけてしまう。
そのなかで、依頼人からの手紙を代筆する「自動手記人形」に出会い、ギルベルトが最後に彼女に告げた「愛してる」にどのような意味があったのかを知るために、彼女は「自動手記人形」として働くことを選ぶ。彼女は多くの依頼人から、人間の感情や情動がどのようなものであり変化するのかを学んでいき、徐々に彼女自身も変わっていくことになる。
石立監督がどのように再編集版を監修するかはみてのお楽しみではあるが、「愛を知る」物語であるという軸に大きなブレはないだろう。
この物語には3つの側面がある。1つ目は「感情を持たぬ兵器」とまで言われた無機質なヴァイオレットが様々な愛を知ることで人間性を宿していくという側面。2つ目は様々な人間関係のなかで見え隠れする情動を「愛である」とヴァイオレットが捉えることで、関わった人間にとっても大きな転機となっていく群像劇としての側面。3つ目にヴァイオレットがギルベルトに向けていた感情が愛であると気づき、いつか出会えることを信じて変わっていこうとするラブストーリーとしての側面だ。
だが筆者がここで記したいのは、「愛を知ろう」と彼女が懸命になっていくことで何を得てきたか? ということ。彼女の名前がタイトルとして記されているように、本作はヴァイオレット・エヴァーガーデンという女性が、「愛を知る」ことを経て「生きにくさ」を乗り越える物語だからだ。