Z世代に向けた『もののけ姫』論 90年代の熱狂と今こそ語られるべきメッセージ

「自然最高、人間ダメ」ではないことが重要

杉本:宮崎監督って自然と人間の関係をテーマに作品を作り続けている方で、いわゆるエコロジストと呼ばれることもあるじゃないですか。でもご本人はそう呼ばれることをすごく嫌っているという有名な話もあります。

渡邉:宮崎監督はサービス精神旺盛な方だったので、ある種パフォーマンスのようなところもあったと思うんですけど、『ナウシカ』が公開された頃はC・W・二コルさんと対談したりしていましたね。でも宮崎監督のエコロジー観はもっとラジカルですよね。この世界は人間の世界と自然環境がものすごく複雑に絡まりながら共存しているので、単純にエコロジーと言っても難しいところがあります。その最も自堕落な形が「人間中心的な自然保護」で、それをSDGsに引き付けて言うと「資本主義中心の自然保護」ですよね。まさにマルクス主義哲学者・斎藤幸平さん的な見取り図ですけど、資本主義を発展させるために「お金儲けのためにSDGsやりましょう」とか「コンビニのビニール袋なくしましょう」と言っても、それではなんの解決にもならない。それが今世界中で問題になっているわけですが、人間対自然の対立軸をひっくり返して自然について考えてみる。そういう作品を宮崎監督はずっと描いてきて、それが『もののけ姫』に結実している。

杉本:「自然最高、人間ダメ」とも言っていないところがこの映画の大事なポイントですよね。今は“持続可能な”というのが「資本主義が生き延びるために都合の良い自然だけ守りましょう」となってしまっていますが、宮崎監督が考える自然というのはもっと大きい。例えば、『もののけ姫』に引き付けて言うと、山犬がいると森が切れず、鉄も作れない。資本主義にとって不都合な存在。でも山犬も“自然”なわけです。本来人間と自然の関係って「凶暴に殺し合う側面もあったんだ」ということをもう1回思い出させるためにこういう物語になっているという明解もありますけど。じゃあどうしたらいいのか、ということが今の若い人がつまるところだと思うんですよ。宮崎監督も我々も結局人間で、人間社会の中ではないと生きられないわけですよね。それはこの映画の主人公アシタカも一緒で。だから最後、サンは森で、アシタカはタタラ場で生きようという結論になって別れている。そこに宮崎監督の「人としての考えと自然に対する思い」という複雑な気持ちが出ているなと。自然というのは、資本主義にとって都合の良いものだけを守ればいいというわけではない。そこには人間にとっての不都合な自然もあるし、美しさもある。宮崎監督はそこに惹かれる。アシタカは結局のところ人間の共同体であるタタラ場で生きるというのが限界なんだと思います。この視点って今のエコロジストにはなかなか出てこない視点です。

『もののけ姫』が描いた新しい時代劇

渡邉:あと、現代の結びつきという面で言うと、この映画の中でタタラ場にハンセン病を思わせる包帯姿の業病の人々が登場しますよね。おそらく日本のアニメで直接的にそういうものを描き切ったというか……ハンセン病をモチーフにした作品というのは、ジブリの作品以外にはなかなかないと思います。あと『もののけ姫』って侍と農民以外の様々なマイノリティも含めた人たちが主要人物になって登場しています。この点も21世紀をある種先取りしていますよね。今観ても新鮮です。

杉本:そうですね。網野善彦さんの中世史観に影響を受けているというのはよく言われるし、ご本人同士も対談されていますけど、日本の中世と言われて我々が想像するのは武家社会なんですよ。武士がいて、侍がいて、下に農民がいて、年貢に苦しんでいるみたいな。そういうイメージでしか語られていなかったけど、実際にはもっと多様な人がたくさんいたと網野さんは言っていて。それに感銘を受けた宮崎監督が、『もののけ姫』では従来の時代劇でほとんど登場してこなかった人々にフォーカスを当てた。それがエボシ御前だったりタタラ場の人たちだったり、アシタカの部族である蝦夷だったりする。

渡邉:だからそれまで描かれてきた日本の時代劇とは、出てくる人の見た目からして全然違いますよね。網野さんは70年代以降の日本史のイメージを刷新した人ですが、網野さんの有名な言葉で「百姓は農民ではない」という言葉があります。網野さんによると百姓というのは元々農民を意味する言葉ではなかったというわけですよ。“百”は“hundred”、“姓”は“職業”という意味だったんですね。つまり、色々な職業、色々なキャラクターをひっくるめて“百姓”と呼んでいた。それが江戸時代になって農民を表す言葉になったと。「日本史はずっと天皇と武士と農民しか注目してこなかったけど、様々な民に注目しましょう」と言ったのが網野さんですよね。それに宮崎監督はすごく影響を受けています。一方で、ある種仮想敵にしているものが黒澤明監督の『七人の侍』ですよね。『七人の侍』は、農民と武士という非常に古典的な時代劇だったのに対し、宮崎監督が作ったものは侍と百姓がほとんど出てこない新しい時代劇だった。

杉本:『七人の侍』はすごい映画ではあるんですけど、宮崎監督さん曰く「日本人の卑屈で、ずるくて、貧しいといった農民観はあの映画に支配されている」と。宮崎監督は、そういう情けない日本人の大衆像を刷新したがっていたんですよね。あと、宮崎監督って活気のある女性を描くのが好きな方ですよね。従来の日本史を辿ってもそういう女性はなかなか出てこなかったと思います。それが網野さんの中世史観によって、活気のある女性もはいっぱいいたんだということに感銘を受けて、だからこそエボシ御前のような面白いキャラクターが生まれたんだろうなと。



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