西島秀俊は言葉にせずに魅せる 『ドライブ・マイ・カー』『おかえりモネ』での“裏”の表現

西島秀俊『ドライブ・マイ・カー』裏の表現

 西島秀俊は、村上春樹の短編を濱口竜介監督が映画化した『ドライブ・マイ・カー』で、主人公の家福悠介を演じている。家福は自分の生き方にこだわりがあり、寡黙で、でも他人に尋ねられれば実直に答える。そんな村上作品らしい、主人公の特徴的な人物像を西島はごく自然に演じていた。台詞にも村上春樹の文体を彷彿させる文学的なものが少なくないが、それにはあまり違和感を覚えない。家福はこのように話すのだろう、と思うほど自然に感じられたのは、表情や口に出す言葉だけでなく、表には見えない家福の胸中をも西島が丁寧に表現しているからだ。

 役者にとって視聴者や観客に見せる部分以外の演技(例えばキャラクターの背景やなぜその台詞を口にするのかなど)を考えることはごく当たり前のことかもしれないが、西島はそれをかなり堅実に行っているように思う。だからこそ観客は、西島が芝居の中で見せるちょっとした目の動きや些細な動作から、表面上には分かりにくい微細な心の動きを感じとることができる。

『ドライブ・マイ・カー』(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 原作が収録されている村上春樹著『女のいない男たち』(2014年、文藝春秋)や原作と劇中に登場するアントン・チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』を読むと、『ドライブ・マイ・カー』で見せた西島の演技の堪能さがより一層強く感じられる。家福が、秘密を抱えたまま突然亡くなった妻・音(霧島れいか)に対する思いを「言葉にして」吐き出すのは物語が終盤を迎えてから。しかし家福の心情はそのシーンに到達する前から、言葉として表されなくとも理解できる。

『ドライブ・マイ・カー』(c)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 例えば、音から紹介された俳優・高槻(岡田将生)との探り合うような会話からは、家福が妻から聴くことのできなかった秘密に苛まれ続けていることが伝わってくる。また家福と高槻の複雑な関係も、西島の演技によって理解できる。音と関係があった高槻に対して、家福は友情を抱く。初めは演技だった「友情」は本物に変わっていく。原作に“その境目は僕自身にもだんだんわからなくなっていった”とあるように、原作でも映画でもそのきっかけははっきりと描かれてはいない。しかし夜の車内で高槻と音について話すシーンで、高槻の眼差しが挑戦的に見えたにも関わらず、家福が彼に敵意を向けるように感じなかったのは、高槻を通じて音を理解しようとした家福の心境を、西島が意識して演じていたからだろう。

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