『僕のヒーローアカデミア』は“限界突破”し続ける 原作、TVアニメ、劇場版から紐解く魅力

進化し続ける『ヒロアカ』の魅力

 『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ~2人の英雄(ヒーロー)~』では、デクとオールマイトが海外の巨大人工島《I・アイランド》を訪れるさまが描かれる。1万人以上の科学者が住むこの地には、オールマイトがアメリカに留学していた際の相棒であり、世界的な科学者のデヴィットがおり、彼の招待を受けたのだ(オールマイトのコスチュームは、彼の設計によるもの)。そこにテロリスト、ウォルフラムが急襲し、オールマイトは拘束。デクは、島を訪れていた爆豪や麗日お茶子、飯田天哉、轟焦凍、デヴィットの娘で“無個性”のメリッサと共に、捕らわれた人々を救おうと奔走する――。

 先ほど「原作と連結」と書いたが、大きな見どころはデクの師匠オールマイトの過去が描かれるということ。彼は18歳(雄英高校卒業直後)から23歳までアメリカに滞在。21歳でデヴィットに出会った。この時期のオールマイトの姿が拝めるのは本作ならではで、しかもオープニングはそこから始まる。『ヒロアカ』らしいサービス満点の仕掛けであり、ファンにとっては感涙ものだ。アニメ制作を手掛けたボンズの外連味あふれるバトル演出によって(カリフォルニア州の市街地で繰り広げられる戦闘が新鮮!)、“ヤングエイジ”のオールマイトの無双ぶりに説得力がもたらされている。

 キャラクター描写においても、オールマイトからデクへと受け継がれる「救けずにはいられない」狂気に似た“執念”が改めて描かれている点に注目。これは、その後のデクの行動理念を示すものであり、原作・TVアニメはもちろん『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション』でも繰り返し言及がなされる。

 ちなみに、オールマイトが渡米した理由は、勢力を拡大させるオール・フォー・ワンから身を隠し、力を蓄えるため。この部分においては、本作が劇場公開された際の来場者特典『僕のヒーローアカデミア Vol.Origin』で描かれている(アニメ版は、Blu-rayおよびDVDの豪華版である「プルスウルトラ版」に収録。ご興味ある方はぜひチェックしてみてほしい)。

 このオープニングシーンでも示唆されるとおり、『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ~2人の英雄(ヒーロー)~』では、これまでになくオールマイトに焦点が当てられている。彼の若き日が描かれるだけでなく、アメリカで支持を獲得していく過程、「平和の象徴」として一強状態である危うさに至るまで、物語全体にオールマイトが紐づいているのだ。

 デヴィットの「日本が敵(ヴィラン)犯罪を6%で維持しているのは、オールマイトがいるから。他の国は軒並み20%を超しているのに」というセリフにあるように、オールマイトという存在の大きさは計り知れない。ただ、オールマイトはデクに個性を譲渡しているため、平和の象徴として立っていられる期間は残り僅か。譲渡されたことは知らないまでも、オールマイトの個性が消えかかっていると聞いたデヴィットは、オールマイトが一線で活躍できなくなる未来への不安に駆られ、ヴィランと通じ、スポンサーによって凍結・封印された個性増幅装置を取り戻そうとする。平和を維持するために、悪に手を染めてしまうのだ。

 ここには大きく分けてふたつ、重要な要素が含まれている。ひとつは、“超常社会”の不安定さ。もともと個性の使用を制限することで仮初の平和を獲得しているという前提からしてそうなのだが、『ヒロアカ』の中では、常に「社会」がいつ崩壊してもおかしくない危険性がちらついている。

 『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング』では個性強化実験の被検体、『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション』では「個性終末論(個性はギフトではなく枷であり、個性に囚われているから社会が堕落したという思想)」に則り、個性排斥運動を行う思想団体「ヒューマライズ」が登場。さらに原作・TVアニメでは、個性をブーストさせる非合法の薬品が登場する。全て、ルールで個性を抑えつけた超常社会の脆弱性を突いたものだ(各ヴィランのバックボーンでも、社会からこぼれ落ちていくさまが色濃く描かれる)。原作の最新の展開を含め、『ヒロアカ』全体に関わる“問題提起”が、しっかりと込められているのだ。

 もうひとつは、「継承」というテーマ。そこに対するオールマイトとデヴィットのスタンスの違いが、今回の事件を引き起こしてしまった。オールマイトは、デクを後継者に選び、彼が新たな「平和の象徴」として育つまで、メンターとして支え、導こうと考えている。つまり、「自分がいなくなっても、有精卵どもがいる」と未来への希望を抱いているのだ。それに対し、デヴィットは未来を楽観視することができない。そのため、「オールマイトが」立ち続けられる可能性を模索するのだ(ここが、父の姿を追う“後継者”メリッサへの裏切り行為につながってしまう)。

 ある種の、既得権益の占有状態。この価値観は、『ヒロアカ』においてはヴィランの思想に近い。例えば師弟という関係性では、オールマイトとデク、オール・フォー・ワンと死柄木弔が対照的だ。オールマイトは次世代に未来を託し、オール・フォー・ワンは次世代を自分のために利用しようとする。ここもまた、シリーズを通して幾度も描かれてきたポイントだ。

 この部分は言い換えれば、「未来のヒーローたちが育つことで、不安要素が薄れていく」ことでもある。つまり、雄英高校の校訓ではないが、生徒たちがプルスウルトラすればするほど、ヴィランの目論見は外れていくわけだ(敵連合が雄英生を軽視した結果、後れを取る展開などにも共通)。これは、本作全体の構造はもちろんのこと、『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング』『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション』と順を追って観ていくと、より分かりやすい。

 第1作では、デクたちはオールマイトから「すぐにここから逃げなさい」と言われる存在として描写。つまり、まだ庇護対象であり、彼らが活躍するステージはまだ先にあるとの見解がなされる。それが、第2作では「1年A組が全員で協力し、生徒だけで島を護る」に進化。さらに第3作では、「プロヒーローの卵として、各生徒が先輩と協力して世界各国でミッションにあたる」まで成長を遂げていく。

 先ほどの「劇場版は原作の時系列と連動している」にもつながるのだが、毎度「最大のピンチ」に遭遇し、「いまできる最善手」と「プルスウルトラ精神」で打破していくのが、『ヒロアカ』流の作劇スタイル。そこには成長物語としての側面が色濃く反映され、後押しとなるのが「先輩たちからの継承」というわけだ。オールマイトはデクに、エンデヴァーは轟に、ベストジーニストは爆豪に、ホークスは常闇踏陰に……といった具合で、ヒーローたちは皆、次世代の可能性を信じ、学生たちに未来を背負わせる。

 逆に、デヴィットが「未来を信じられない」存在として描かれることは、オールマイトとの対立をにおわせ、そこをデク(そしてメリッサ)が行動で否定することで、事件が解決に向かっていく流れが美しい。つまり、デヴィットが友のためとはいえ「オールマイト時代を長引かせようとする」時点で、「賽は投げられた」状態に突入するのだ。

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