『100ワニ』『ポンポさん』 アニメ映画におけるオリジナルストーリーの意義

※本稿は『100日間生きたワニ』『映画大好きポンポさん』の後半の展開に関するネタバレを含みます。

 この夏に公開されたアニメーション映画に『100日間生きたワニ』と『映画大好きポンポさん』がある。この2作について、筆者は「非常に近い共通点があるものの、異なる狙いを持って制作された作品」だと感じた。

 その共通点とは、「原作には存在しなかったストーリー・登場人物を追加し、原作が持つ魅力を発展させている」という点だ。それでいて、まったく異なると感じたのはストーリーを追加したその「狙い」の部分ということになる。この「狙い」について、一作づつ順番に筆者の考えを述べていこう。

 映画『100日間生きたワニ』の原作は、きくちゆうきの漫画『100日後に死ぬワニ』だ。Twitterに1日1話ずつ4コマ漫画として投稿された原作では、主人公であるワニが命を落とすまでの何気ない毎日が淡々と描かれ、「彼は何故、どのようにして死んでしまうのか?」という好奇心を読者にかき立てさせることで、大きな反響を呼んだ。

映画『100日間生きたワニ』予告【7月9日(金)公開】

 映画『100日間生きたワニ』では、原作で描かれた物語は前半部で終わり、後半からは完全オリジナルの展開が描かれている。このオリジナル展開で鍵を握るのが、こちらもオリジナルキャラクターであるカエルだ。

 カエルはワニの死後、街へと引っ越してきた人物。ワニと親しい仲だったネズミやモグラ、センパイといった人々の中にカエルがなかなか馴染めないという描写が、かつてそこにいたワニの不在を浮き彫りにする。

 ワニの死によって生じた決して埋まらない空白と、それを乗り越え、生きていかなければならないネズミたちの変化が、過去との対比により雄弁に語られる演出は、見事なものだ。それは「死そのもの」以上にワニがもうどこにもいないことを雄弁に語り、原作の結末が残した余韻を、引き立てている。

 「ワニの死」へのいささか悪趣味な興味という、原作では強い“引き”として機能していた部分を売りにできない(あるいはする必要がなくなった)映画『100日間生きたワニ』では、それがかえって、この作品が元々持っていた人間ドラマとしての可能性を引き出すことに成功していたように感じられた。

 「死の瞬間」へと向かうのではなく「共に生きた日々」に想いを馳せるような構成となったアニメーション映画版が、原作からタイトルを改題したのも、本作を鑑賞したならばさもありなんと思えるはずだ。

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