『いだてん』は“終わり損ねた未完の大作”? 現実の五輪で迎える本当の最終回

『いだてん』みたいな一年だった

 7月22日、『いだてん~東京オリムピック噺~』(NHK、以下『いだてん』)の総集編が一挙再放送された。

 今回、放送された内容は、2019年に放送された大河ドラマ『いだてん』を全4回にまとめたものだ。物語は「日本のマラソンの父」と言われた金栗四三(中村勘九郎)が主人公の第1部と、東京オリンピック招致に尽力した田畑政治(阿部サダヲ)が主人公の第2部に分かれており、第1部で明治末と大正、第2部で戦前、戦後の昭和という4つの時代が描かれる。大河ドラマでは鬼門とされていた近代を舞台にした作品だったが、スポーツと落語を題材にすることで見事に描き切り、大河ドラマの新境地を切り開く作品となっていた。

 脚本を担当したのは宮藤官九郎。チーフ演出は井上剛、制作統括は訓覇圭。2013年に連続小説(以下、朝ドラ)『あまちゃん』(NHK)を手掛けた3人が再結集した本作は、復興五輪の名の下に開催される2020年の東京オリンピックの前年に放送された。23日には、『あまちゃん』に演出として参加した吉田照幸がチーフ演出を務めた朝ドラの『エール』の総集編も一挙再放送されるのだが、どちらも『あまちゃん』から分岐して、オリンピックに向かう日本を描いた兄弟のような作品だった。この2作が2021年に延期となった東京オリンピック・パラリンピックの直前に再放送された状況は実に面白い。映画『シン・ゴジラ』のキャッチコピー風に言うなら「現実 対 虚構。」といった趣向である。

 日本の近代スポーツの発展とオリンピック開催に尽力したスポーツ関係者の歴史群像劇として1年間放送された『いだてん』は、宮藤を筆頭とする日本を代表するクリエイターと俳優が集結し、テレビドラマとしては破格のスケールの物語となった。さながら“テレビドラマのオリンピック”とでも言うような豪華な面子で、日本のテレビドラマにとって一つの到達点と言える作品である。しかし視聴率は歴代大河ドラマ最低を記録。登場人物が多く構成が複雑で物語がわかりにくかったことが、視聴者が脱落した原因だが、何より「オリンピック」いう題材を扱うことに対し否定的な意見が多かった。

 『いだてん』は制作が発表された当初、国威発揚のプロパガンダ的な作品になるのではないかと懸念されていた。しかし、いざ始まってみると「競技スポーツの弊害」を語り、五輪開催に際して起こったトラブルやスポーツが政治利用されていく姿を、これでもかと描く作品となっていた。同時に、スポーツによって人々が開放されていく姿も爽快に描かれていたため「五輪に賛成なの? 反対なの?」と視聴者を困惑させた。その結果、開催賛成派も反対派も作品から距離を置いてしまったが、この絶妙な距離感こそが『いだてん』の真骨頂だった。

 これはスポーツに対する距離感にも繋がっている。最先端の映像でスポーツの興奮や熱狂を描きながら、その熱狂が戦時下へ向かっていく様子が、国立競技場の変遷と共に語られていた。スポーツの感動を見せると同時に、その危うさも描いていたのが『いだてん』だった。

 関東大震災を経て、1940年の幻の東京オリンピックへと向かっていく物語は、そのまま2011年の東日本大震災を経て、2020年の東京五輪オリンピックへと突き進む2010年代の日本の姿と重なる。そのため「今の私達に起きていることと同じではないか?」と既視感にかられることが多かった。

 その意味で『あまちゃん』で震災を描いた宮藤たちが『いだてん』へ向かったのは必然だったと言えるだろう。この2作には、2010年代の日本が刻印されている。

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