スカーレット・ヨハンソンが提示する喪失の先の歩き方 『ブラック・ウィドウ』までを辿る

反「娘役」の継承

「自分よりウィットに富んだ、若くて美しく、圧倒的にセクシーな女性のそばで、さらにウィットに富んでなくちゃならないのは大変だ」(ウディ・アレン)(参照:ブランドン・ハースト著『スカーレット・ヨハンソン 彼女が愛される理由』<P-Vine Books刊>)

 『恋はデジャ・ブ』(ハロルド・レイミス/1993年)をフェイバリットに挙げるスカーレット・ヨハンソンにとって、ビル・マーレイとの共演は夢のような出来事だったという。『ロスト・イン・トランスレーション』以降、2000年代のスカーレット・ヨハンソンは、自分が好きだった俳優、監督との共作を重ねていく。『マッチ・ポイント』をはじめとするウディ・アレンとの3作品は、スカーレット・ヨハンソンの価値を大いに高めたといえる。

『タロットカード殺人事件』(写真:Splash/AFLO)

 スカーレット・ヨハンソン曰く、普段の二人のジョークの飛ばし合いを、そのまま映画にしたという『タロットカード殺人事件』(2006年)は、ウディ・アレンがスカーレット・ヨハンソンの希望を叶えるために作られた傑作だ。速射砲のようにとてつもない早口で繰り出される二人のトークが、愛くるしさを放っている。湖上のボートを使った殺人シーンの、古典的な演出の美しさも際立っている。面白いことを言ったつもりでも、さらに面白い返しをしてくるスカーレット・ヨハンソンの反射神経のよさをウディ・アレンは讃えている。ここでのスカーレット・ヨハンソンは、初老の男性を手玉にとる若い女性ではなく、一家の面倒見のいい長女的な役割を果たしている。

 思えば、義理の姉に誘拐された『のら猫の日記』のマニーを演じたときから、スカーレット・ヨハンソンは、いわゆる「娘役」の概念からは外れる、自立=自律した少女像を体現してきた。スカーレット・ヨハンソンのキャリアには、『ブラック・ウィドウ』で妹エレーナを持つことになる長女ナターシャ役への伏線があったといえる。また『ブラック・ウィドウ』は、姉から妹への継承の物語でもある。

 スカーレット・ヨハンソンの前にはジョディ・フォスターがいて、後ろにはエル・ファニングがいる。エル・ファニングとの対談で「キャラクターを演じる際に年齢は関係ない」(参照:Elle Fanning|interviewmagazine)と意気投合していた二人は、『幸せへのキセキ』(キャメロン・クロウ監督/2011年)で共演している。この二人の共演が感動的なのは、それぞれの世代を象徴する新時代の「娘役」の継承を、そこに見ることができるからだ。二人がそれぞれソフィア・コッポラ作品のヒロインを務めたことは偶然ではない。

 スカーレット・ヨハンソンはクラシックな装いで、ブライアン・デ・パルマ監督『ブラック・ダリア』(2006年)、クリストファー・ノーラン監督『プレステージ』(2006年)といった大物監督の作品に続けて出演する。『ブラック・ダリア』におけるスカーレット・ヨハンソンの登場シーンは、明確にハリウッド・クラシックとしての彼女の美を讃えた素晴らしいショットだ。また、『サイコ』(1960年)の舞台裏を描いた『ヒッチコック』(サーシャ・ガヴァシ監督/2012年)で、ジャネット・リーを演じたこと。同時期に、ケビン・ベーコンを主演に迎えたモノクロームの慎ましく美しい短編『さすらいびとの靴』(2009年)で監督デビューを飾っていることも含め、この頃のスカーレット・ヨハンソンが、ハリウッド・クラシックに対する強い関心を持っていたことや、自身の映画人生における位置づけを試みていたことが伺える。

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