『デニス・ホー』は「あなたはどう生きたいか」と問いかける 損得勘定を超えたその信念

本当に豊かな人生とは何か

 再出発となる小さなライブハウスで、デニスは観客の顔が最後列までよく見えることを喜びながら、「イチから出直すことで再び見出せる幸せがある」と笑って言う。人生の幸せは規模では測れないことを彼女はよくわかっている。彼女はある時期から仏教を学び出したことが本作に描かれている。それが自分の自信と楽観主義のベースになっていると彼女は言う。万物の大きな流れの中に自分がある、その中でやれることをやるだけだと、そういう大局観を持って彼女は生きているのだ。

 香港の情勢は刻一刻と変わっていくが、万物は流転する。その流転の中で自分ができることを精一杯やっているという自負があるからこそ、彼女はどんな苦境に陥っても自信を失わないのだろう。

 雨傘運動で逮捕された後も、彼女は香港の自由のための行動を止めることはなかった。逃亡犯条例の改正案に端を発するデモでは、催涙弾の飛び交う中を市民と一緒にかいくぐり、国連で香港への支援を訴え、米国議会でも証言し、音楽の力で人を勇気づける。

 デニスは作中で、デビューシングル曲「千の私」について、「革命を表すのによく使われる言葉だ」と語る。「たとえ私が死んだとしても、自分と同じ幾千幾万の人間が後に続くだろう」という意味なのだそうだ。中国政府の強大さと理不尽さを充分にわかっていながら、負けるとわかっている戦いに身を投じられるのは、後に続く者がいるはずだと心から信じていればこそだろう。

 過日、公開初日を記念して行われたトークショーで、本作のスー・ウィリアムズ監督は、デニスが若いアーティストたちに多くの助言を行っていると語っていた。阿古智子東大教授も、デニスの影響で香港のアイデンティティを大事にしようと思う若い人が増えていると言っていた。「千の私」の言葉通りに、デニスの意思は受け継がれているのだ。

 香港から自由が失われ、天安門の追悼すらもできなくなったが、市民たちがスマートフォンのライトを照らしながら、静かに祈りをささげる姿が多く見られたという。香港人の表現の意思は形を変えて今も生きている。

 『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』は、本当の意味で豊かに生きるとはどういうことかを見せてくれる作品だ。あなたはどう生きたいか、この映画を観て是非考えてほしい。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』
シアター・イメージフォーラムにて順次公開中
監督・脚本・プロデューサー:スー・ウィリアムズ
制作総指揮:ヘレン・シウ
共同制作:ジュディス・ヴェッキオーネ
編集:エマ・モリス
撮影:ジェリー・リシウス
配給:太秦
協力:TOKYO FILMeX、市山尚三
字幕:西村美須寿
字幕監修:Miss D
2020/アメリカ/ドキュメンタリー/DCP/83 分
(c)Aquarian Works, LLC
公式サイト:deniseho-movie2021.com
公式Twitter:@deniseho_movie

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