デヴィッド・バーンが『アメリカン・ユートピア』に込めた「ユートピア」の意味
1985年の夏に『ストップ・メイキング・センス』が日本公開された時の、東京で局地的に発生していたあの熱を、今の若い読者へ正確に伝えるのは難しい。まだ平日は映画館の最終上映回が18〜19時台スタート(そう、まるで緊急事態宣言下の現在ように)が当たり前だった時代に、「レイトショー」という耳慣れない呼称で21時以降に上映されたその公開形態。ほとんど前例のなかった、ファッションブランド(メンズ・ビギ)とのタイアップによる宣伝展開やコラボTシャツ販売。そしてもちろん、ステージの照明と構成、そして撮影と編集のアプローチによってそれまでの「コンサートフィルム」の常識を覆してみせた作品そのものの圧倒的な斬新さ。最初はメディア主導(まだテレビの深夜CMやカルチャー系の雑誌が絶大な影響力を誇っていた)だった作品を取り巻くその熱は、やがて口コミによって渋谷や新宿や吉祥寺の映画館に連夜の行列を生み出し、当時はまだトーキング・ヘッズの『モア・ソングス』も『フィア・オブ・ミュージック』も『リメイン・イン・ライト』もろくに聴いたことがなかった14歳の自分にも伝播した。1985年、『ストップ・メイキング・センス』を観ることは、中学生にとって大人の世界に束の間だけ仲間入りすることだった(「中学生なのにレイトショー?」なんて野暮なことは言わないでもらいたい)。
と、普段できるだけしないようにしている昔話を思わずしてしまったのは、あれから36年(遠い目)の時を経た本作『アメリカン・ユートピア』で、デヴィッド・バーンは「コンサートフィルム」の常識をもう一度覆すことを明確に意図し、それを見事に達成しているからだ。この36年(『ストップ・メイキング・センス』の製作年は1984年、『アメリカン・ユートピア』の製作年は2020年)で、デヴィッド・バーンは33歳から69歳(撮影時は67歳)に、監督はブレイク前のジョナサン・デミ(6年後の『羊たちの沈黙』で各映画賞を席巻した)から今や大御所となったスパイク・リーへ。作品に刻まれたそんな年輪の数だけ、当然のように大きな進化を遂げている。徹底的にデザインされたステージングというコンセプトは不変ながらも、ステージ上のワイヤレス機器の進化によってまさに「36年後の『ストップ・メイキング・センス』」と呼ぶべき視覚的な喜びと驚きを与えてくれる。
しかし、最も大きな変化は、レーガノミクスの真っ最中に「意味なんて捨てちまえ」(=ストップ・メイキング・センス)と聴衆を挑発していたデヴィッド・バーンが、36年後の本作ではトランプ退場前のアメリカにおいて自分のステージの上だけでも真剣に「ユートピア」を現出させようとしていることだ。白人の老人男性であるデヴィッド・バーンは自分と同世代の白人ばかりの観客の前で、ジャネール・モネイが2015年に発表した、アフロビートにのせて白人警官による暴力によって亡くなった黒人の被害者の名前を次々にあげて聴衆に「名前を言え!」と呼びかける「Hell You Talmbout」のカバーをクライマックスで披露している。
我々はその意味について考える必要があるだろう。そもそもトーキング・ヘッズはブライアン・イーノとのコラボレーションによって、白人バンドとして自身の音楽にアフロビートを取り入れた先駆的な存在だった。1970〜80年代、彼らはそのことで音楽ジャーナリズムにおいて絶大な評価を得ることになるわけだが、現在いたるところで語られている「文化の盗用」という概念を当てはめるなら、当時のディッド・バーンやブライアン・イーノは黒人のルーツや伝統を「盗用」してきたとも言える(実際、後年になってトーキング・ヘッズの音楽はそのような批判に晒されるようになってきた)。