『闇はささやく』はただのホラーではない “幻想文学”の流れを汲んだ映画としての真価
このように『闇はささやく』は、歴史的に繰り返される女性の境遇への問題意識と、いつか全ての女性がいわれのない苦痛から解放されるよう願いを捧げながらも、その苦しみに一つの暗い美を見出している。そして、絵画に描かれた要素を散りばめながら、スウェーデンボルグの霊的世界によって霊魂が救われたり救われなかったりする様子を、ニューヨーク州の田舎の風土とともに映し出した、奥行きのある一作なのである。ジャンルとして分類するのであれば、「幻想文学」の流れを汲んだ映画の棚に並べたい。
幻想文学の要素を汲んだジャンル作品は数多いが、この分野に本格的に取り組んだ映画作品は、それほど多くなく、ロマン・ポランスキー監督や、オランダ時代のポール・ヴァーホーヴェン監督、ヴェルナー・ヘルツォーク監督ら、限られた作家たちが、難解な題材に挑戦してきた代表的な存在といえよう。この種の作品は、美学的に凝った映像が必要とされるわりに、それほどオシャレな雰囲気のないアートフィルムとして受容されがちなことから、これまで広い支持を得られにくかったところもある。その意味では、本作もそのような流れにある作品として、不遇な経過を辿ることになったといえる。しかし、耽美的な幻想文学映画を一部の好事家たちが珍重しているように、本作も長い時間をかけて本来の価値に見合った評価を受けるようになるだろう。
本作が理解されなかった理由には、スウェーデンボルグの考え方やジョージ・イネスの役割など、テーマに直結する事柄について、ほとんど説明されていない点も挙げられる。つまり、最低限の前提知識がなければ、それらが登場する意味が、よく分からないのだ。
「前提知識が必要な映画など出来損ないだ」と言う人もいる。だが、本当にそうだろうか。それを言い出したら、そもそも全ての映画作品には、ある程度の前提知識が必要なのではないか。幼児は映画で描かれる物語を十分には理解できないし、小中学生は大人の恋愛映画を退屈に感じるだろう。それは、映画に登場する要素を理解する下地ができていないからだ。同様に、大人であっても、もともと持っている知識や理解力にはそれぞれの差がある。
だが、それは書籍がそうであるように、当たり前のことではないのか。誰もが理解できるように全てを懇切丁寧に説明してしまえば、作品が野暮ったく稚拙な内容になってしまう。もちろん、知的レベルを上げることで、ふるい落とされてしまう観客は多くなってしまうはずだ。しかし、だからこそより複雑で高度なものを描けるようになるのも確かなのである。そして作品は、そのどこに線を引くかによって本質的な評価を下すべきではないだろう。
その一方で、スウェーデンボルグやイネス、トマス・コールなどに、本作で出会い、人生が変わってしまう若い観客も存在するかもしれない。本作は、そんな誰かの人生の大事な一本になり得る、豊かな文化へと続く奥行きを持った一作であることは間違いないはずだ。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■配信情報
『闇はささやく』
Netflixにて配信中
出演:アマンダ・セイフライド、ジェームズ・ノートン、ナタリア・ダイアーほか
監督:ロバート・プルチーニ、シャリ・スプリンガー・バーマン
脚本:シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ