渡辺謙と宮沢氷魚、世代を超えた俳優同士の化学反応 奇跡の“復活劇”『ピサロ』を観て

神化する宮沢氷魚、復活劇『ピサロ』を観た

 主演に渡辺謙、共演に宮沢氷魚を迎え、渋谷・PARCO劇場にて上演中の舞台『ピサロ』。本作は、2020年に生まれ変わったPARCO劇場の「オープニング・シリーズ第1弾公演」として45回の上演を予定して幕を開けたものの、コロナ禍によってわずか10回だけの上演で幕を下ろすことになってしまった幻の作品の再演だ。激動の時代のはじまりとともに産声をあげ、一部の観客のみの記憶にだけ生き続けていた演劇作品が、早くも復活を果たしたのである。

『ピサロ』ゲネプロ映像

 筆者も2020年に観劇することができなかった観客のひとりだ。昨年は(今年もだが)本作と時を同じくして、いくつもの舞台が公演中止となり、陽の目を見ることが叶わなかった作品は相当数にのぼる。上演されなかったからといって、その作品が無かったことになるわけではない。しかし演劇というものは、やはり観客の前で立ち上がってみせてこそ“誕生した”といえるのだろう。この『ピサロ』再演の報が入ってきてからというもの、実際に劇場の席につき、眼前に立ち上がる劇世界を目撃することを鼻息荒く待っていたものである。観劇前に思わず武者震いしてしまったのは、さながら、旅立ち前の貪欲な探検家フランシスコ・ピサロのようだったかもしれない。

 本作は、たった167人の兵士を率いるスペインの将軍・ピサロ(渡辺謙)が、2400万人のインカ帝国を征服する物語だ。未開の地に足を踏み入れるピサロ軍の者たちの過酷な道中と、その先で彼らを待ち受ける恐怖、約3000人ものインディオ虐殺、ピサロ軍に生け捕りにされたインカ王・アタウアルパ(宮沢氷魚)とピサロの間に芽生える“情”、そして、“信仰”や“愛”の揺らぎというものが重層的に描かれる。これらが、かつてピサロと道中をともにしたマルティン(外山誠二)が回顧するかたちで進行していくのだ。

 この物語の中心に立つのは、タイトルロールのピサロを演じる渡辺謙であり、彼と対峙するアタウアルパを演じる宮沢氷魚だ。本作を先導する立場にありながら、たったの10公演だけで中止となってしまった彼らの胸中は計り知れない。そしてその無念を晴らす機会が早くもやってきた彼らの心情も、もちろん分からない。しかし、開演時間になって客電が落ち、一度幕が上がると、舞台上からは異様なまでの熱気が伝わってきた。本作に懸けるふたりの想いは大きいだろう。英国の劇作家ピーター・シェーファーによる『ピサロ』が日本で初演されたのは1985年のこと。そのときに渡辺がインカ王・アタウアルパを演じたのだという。それが36年の時を経て、かつて山崎努が演じたタイトルロールを自身が演じる立場になったのだ。そして宮沢はそんな渡辺を前に、彼がかつて演じたアタウアルパを演じるのである。世代の異なるふたりだが、ともに超えなければならない壁というものがあるのだろう。その上での、いまだ続くコロナ禍での、再演なのだ。異様な熱気が生まれて当然である。

 もちろんこの熱気は、渡辺と宮沢のふたりだけが生み出しているものではない。狂言回しを務める外山誠二に、大鶴佐助、栗原英雄、長谷川初範ら脇を固める俳優たちはもちろんのこと、本作の指揮を執る演出家ウィル・タケットの存在や、観客を劇世界に誘う音響に照明など、各部署のスタッフの力が結実してこそのもの。これらが有機的にはたらくことで、“ナマモノ”である演劇は凄まじい熱気を帯びるのだ。

 さて、かつてアタウアルパを演じた渡辺を前にして、“同じ役”を演じるという難題に挑む宮沢氷魚。前置きが長くなったが、本稿では彼にフォーカスしてみたい。2018年にマームとジプシーの『BOAT』で初舞台を踏んでからというもの、筆者は舞台上の宮沢を追いかけてきた。『豊饒の海』(2018年)、『CITY』(2019年)、『ボクの穴、彼の穴。』(2020年)と主に舞台作品で彼は“進化”を続け、技術は“深化”。それは、朝ドラ『エール』(2020年/NHK総合)などの映像作品にも反映され、演技者としての“真価”を発揮しつつある。それが今作では“神化”するまでにいたっているのだ。そう、宮沢が演じるアタウアルパとは、インカ帝国の王であり、自身を“太陽の子”だと謳う神なのである。

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