『おちょやん』は視聴者の心を映す水面のような朝ドラだった 千代の女優人生を振り返って

『おちょやん』は視聴者の心を映す水面のような朝ドラだった 千代の女優人生を振り返って

 『おちょやん』が終わった。

 コロナ禍で撮影スケジュールの乱れが生じた『エール』(NHK総合)の後を受け、通常より2カ月遅れの11月末スタートとなった連続テレビ小説『おちょやん』(NHK総合)。“大阪のお母さん”として多くの人に親しまれた浪花千栄子をモチーフに、激動の時代を生き抜く女性の一代記が半年にわたって描かれた。

 『おちょやん』を毎日視聴して特に強く感じたのは配役の妙と俳優陣の巧さだ。特にヒロイン・竹井千代を演じた杉咲花の繊細でありながら力強い演技は本当に素晴らしかったし、おもに関西の舞台で活躍するプレイヤーたちが個性豊かな芝居を見せてくれるのも楽しかった。

 が、物語が中盤から後半……特に千代が「鶴亀家庭劇」に参加したあたりから、何となく胸にひっかかりのようなものが生じたのも正直な感想。なぜそう感じたのか、ここではその理由を考えてみたい

 何とも言えないモヤモヤ、その1番の原因は千代の立ち位置だ。

 いうまでもなく、本作のヒロイン・竹井千代は“女優”である(作中でこの呼称が用いられていることと作品の時代設定を鑑み、一部この表記を使わせてほしい)。9歳で父・テルヲ(トータス松本)や継母・栗子(宮沢エマ)と決別し、大阪・道頓堀の芝居茶屋、岡安でお茶子として働いていた千代は、スター女優・高城百合子(井川遥)の演技に魅了され、いつしか自分も女優になることを夢見る。

 そんな彼女が表現者として最初の覚醒を果たしたのが天海天海一座の舞台にピンチヒッターとして立った時。テルヲの借金のカタに半ば売り飛ばされそうになった千代は舞台上で「どこにも行きとうない!」と叫ぶ。それは自身の感情と役の心情とが見事にリンクした瞬間だった。

 その後、京都に居を移した千代は、カフェーキネマで働きながら、劇団の座長・山村千鳥(若村麻由美)のもとで雑用をこなし芝居の勉強を始める。思えばここからの京都時代がこの作品でほぼ唯一、千代が演技者として悩み、役を自分のものにするため、役者として自らと向き合った時期だった。

 一座の公演『正ちゃんの冒険』を機に修行の旅に出る千鳥と別れた千代は、撮影所で何本かの映画に出演し、鶴亀・大山社長の命で道頓堀に戻って「鶴亀家庭劇」に参加する。問題はここからだ。

 歌舞伎や歌劇団、東京新派とさまざまな場所から「鶴亀家庭劇」に寄せ集められた役者たちはまったく協調性がなく、座長に任命された天海一平(成田凌)を手こずらせる。千代はなんとか彼らをまとめようとさまざまな手を使い「鶴亀家庭劇」を人気劇団へと成長させようと奔走するのだが、このあたりから彼女が行動するのは「集団を円滑にまとめる」ことと「他者の幸福」のためで、「自らを女優として成長させる」ことや「表現者としての自身の葛藤」を見せる描写はほぼなかったように思う。

 もちろん、自分第一でないヒロインがいてもいいし(例えば『ゲゲゲの女房』の布美枝は徹底的に夫のサポートをする妻だった)、そこを否定する気はないのだが、千代は“女優”。自分が舞台に出て芝居をすることでそれを見る観客に元気を手渡す仕事を選んだのにもかかわらず、天才ではない彼女が演技者として壁にぶつかる状況も、役を演じる上で迷い苦しむ姿も描かれないことに、若干の物足りなさを感じたのも事実である。

 おそらく、本来ならば主人公である千代が担うはずの表現者としての悩みや葛藤は、劇団の座付き作家である一平や、さまざまな因縁を抱えた千之助(星田英利)によって視聴者に提示されたのだろう。

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