『おちょやん』は“あちこちの千代”に向けた人間讃歌 傷ついた人々に寄り添う“母性”

『おちょやん』傷ついた人に寄り添う“母性”

 「明日もきっと、晴れやな」。月を仰ぎながら千代(杉咲花)が発する合言葉。苦しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、気張らなあかんとき。人生の局面で何度も繰り返してきたこの言葉が、千代にとっての「お守り」だった。残すところあと1週となった『おちょやん』(NHK総合)第22週「うちの大切な家族だす」では、千代がこの言葉を発するときに、初めて独りきりではなく、横に誰かがいる。それがとても印象的だった。

 千代が出演するラジオドラマ『お父さんはお人好し』の好評をうけて、1時間の特別番組が放送される。そんな折、『お父さんは〜』の末っ子・静子(藤川心優)が、役者と学業の両立について両親とぶつかり、家出をして千代のもとに泣きついてくる。千代は静子にそっと寄り添い、両親とちゃんと話し合うようにと諭す。

 月あかりの下、亡き母・サエ(三戸なつめ)がまだ幼い千代にかけた「(生まれてきてくれたことが尊くて)ほんまにかぐや姫か思たわ」という言葉。そして病床で千代に握らせた黄色いガラス玉。「母に愛された」というこのわずかな記憶が、千代にとっての支えだった。その後、千代は苦難の道を歩むことになるが、親代わりとなって居場所をくれたシズ (篠原涼子)と、どん底から這い上がらせてくれた栗子(宮澤エマ)によって生かされた。3人の“母”から受けたものを、今度は千代が“子どもたち”に返していく。

 さて、『お父さんはお人好し』が大人気となり、千代は大阪中に知れわたる「お母ちゃん」となったわけだが、これはあくまでもアイコンとしての「お母ちゃん」にすぎない。『おちょやん』は、いつでも1つのエピソードに何層もの意味がある。竹井千代という女性が苦難に満ちた半生の中、もがいて足掻いて、たどり着いた「お母ちゃん」という境地。それはつまり「愛の人」になるということではないだろうか。

 「うちがあんたらを捨てたんや」と言い残し、9歳で生まれ故郷をあとにした千代の人生のプロローグ、そして、千代が肌身離さず台本を持ち歩いている『人形の家』のノラの言葉が象徴するように、千代は属性から解き放たれることで居場所を見い出してきた。一平(成田凌)と結婚して劇団の“お母ちゃん”の役割を担ったこともあったが、あのときの“お母ちゃん”と、今の“お母ちゃん”は違う。悲しみも、苦しみも、恨みも、すべて乗り越えて、「ただ、しようと思うこと」をして役者道を邁進し、真の自由を手に入れた千代が、ここにいる。属性としての“母親”の役割ではなく、もっと大きな“母性”を身につけた千代が、凛と立っている。

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