追悼・田中邦衛さん 日本の映画界、TV界が“大俳優”を失った以上の象徴的な意味
『ウホッホ探検隊』(1986年)でもブルーリボン賞の主演男優賞を獲得したように、脇役としても主演俳優としても、名優としての地位を手に入れた田中は、その後も順調に映画界、TV界で活躍を続けた。ここで感じるのは、二枚目スター俳優ではない、個性派俳優だからこそ持つことのできる“強さ”である。
能を完成させ、日本の芸能の祖となった室町時代の役者・世阿弥(ぜあみ)は、秘伝の書として、演技理論をまとめた『風姿花伝』を記し、後世の才能ある役者のために役者の魅力を引き出す根本的な考え方を伝えている。そこに登場するのが、「時分の花」と「まことの花」という概念だ。
「時分の花」とは、多くの人が持っている若い時代のきらめきのことだ。花がいきいきとしている時間はわずかであるからこそ、若い美しさは誰もが認めざるを得ない価値を放っている。しかしその魅力は、新しい世代が次々に出現することで失われる運命にある。役者もまた、この運命からは逃れられない。その後も役者の魅力を保つために、世阿弥は 「まことの花」が必要だと述べている。誰もが持つ花が枯れていったとしても、自分だけが持っている別の“花”を育てていけば、魅力が枯れることはない。
田中は、キャリアの初期から、脇役としての味を求められる存在だった。だからこそ、青春スターたちを尻目に、否応なく自分の個性を磨いていかなくてはならず、そこで苦心して獲得しただろう魅力は時代を超えて通用してきたのではないだろうか。
共演経験のある、大部屋俳優から注目を集めるまでになった川谷拓三や、盟友ともいえる地井武男などにも同じことがいえるが、田中邦衛のように初めから脇役としてキャリアを積んでいくことを目指した俳優は、かつて隆盛した映画界、TV界においては数多く存在していた。しかし、以前と比べ縮小した現在の日本の娯楽産業のなかで、彼らのような俳優がキャリアをスタートさせるのは難しいかもしれない。その枠は、スター俳優の二世や、お笑い芸人などが多く占めるようになってきているからである。そして作品の人気を上向きにするため、専業の脇役俳優よりも若い美形の俳優がキャスティングされる傾向が強まっている。
数々の“花”があるからこそ、作品には強い魅力が宿る。そんな日本を代表する“花”が、その生涯を閉じたことは、日本の映画界、TV界にとって、一人の俳優を失った以上の、象徴的な意味があるのではないだろうか。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト