『青天を衝け』現在にも響く藤田東湖の言葉 江戸の町には疫病退散として“アマビエ”も
大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合)第5回は「栄一、揺れる」というタイトルであるが、揺れるのは栄一(吉沢亮)だけに限らない。1855年、江戸を襲った安政江戸地震で藤田東湖(渡辺いっけい)が亡くなる。
それより以前に起きたもう一つの大地震によって、和親条約の交渉中のロシア船が、下田を襲った大津波で転覆。斉昭(竹中直人)はそれを「快なり!」と喜び、皆殺しにと叫ぶが阿部(大谷亮平)はそれを人の道を外れたことときっぱり否定。後日、斉昭を諫めたのが東湖だった。
「異国人とて国には親や友がありましょう」
「誰しも掛けがえのなきものを天災で失うは耐え難きこと」
奇しくも斉昭は天災でかけがえのなき友である東湖を亡くしてしまう。また、東湖は慶喜(草なぎ剛)を次期将軍にと考え、その才気を認め円四郎(堤真一)を慶喜の側近に付けた人物。亡くなる前には慶喜が夷狄について尋ねに来ることもあったほど、東湖への信頼は厚かった。慶喜との昔話に花が咲く東湖を見て、円四郎は「諍臣ってぇのはよ。おめぇのおとっさんみぇなことを言うんだろうな」と小四郎(藤原季節)に話しかけるが、「はい?」「はい?」と全く話が噛み合わない。円四郎が東湖のような諍臣になるのはまだまだ遥か先なのだろうか。
「徳川家康です。今日も出てきましたよ」と毎週斜め上の登場の仕方でクスッとさせてくれる、時代のナビゲーター役の徳川家康(北大路欣也)。令和の現代から、当時を俯瞰したその視点は鋭く、士農工商について「もう教科書にその言葉はありません」といった指摘は一定の世代にとっては衝撃の事実でもあるだろう。士農工商とは江戸時代の基本的身分制度のことを指すが、実際は支配する側の「武士」と、される側の「その他」であった。この頃、人口の僅か7%の武士に対し、圧倒的に人数の多いその他まで徳川の世を疑い始める。惇忠(田辺誠一)や栄一だけでなく、日本各地に悲憤慷慨する者が現れ、武士とその他の間に厳しく引いたはずの線は揺らぎ始めていた。