「ぬいぐるみかよ!」の衝撃や賛否を吹き飛ばす 『おじさまと猫』が伝える“愛すること”
1月期ドラマも後半に入った。今期は豊作で嬉しい悲鳴を上げている人も多いだろう。そのうちのひとつ、テレビ東京で放送中の『おじさまと猫』も好評のままに後半に突入した。支持されるドラマには、第1話でガッチリつかむものと、徐々に徐々にハマっていくタイプがあるが、『おじさまと猫』は前者、第1話が重要だったタイプだ。(※文中、第9話に関する多少のネタバレあり)
猫ものといえば、大ヒットした映画『猫侍』や写真家・岩合光昭が監督した『ねことじいちゃん』、最近ではやはりテレビ東京が松重豊を主演に迎えて驚かせたミニドラマ『きょうの猫村さん』など、昔から強いコンテンツではある。だが猫の“ふくまる”と、元天才ピアニストの“おじさま”の日々を描く、桜井海のコミックを原作とした『おじさまと猫』(『猫村さん』もかなりの変化球であったが)は、始まる前には不安視する声が大きかった。
不安材料は大きく2つ。まずは何より“ふくまる”がぬいぐるみだったこと。ニュース解禁とともに、そこかしこに飛び交った「ぬいぐるみかよ!」の声。それも「現代の技術をもってして驚くほどリアルな猫になりました」という形ではなく、どこをどう見ても完全なるぬいぐるみ。原作が好きな人には親しみの湧く造形ではあったが、あまりにもぬいぐるみ然とした風貌に、衝撃が走った。
CGなどでは難しい予算の問題、さらに原作者からの本物の猫は使わないでほしいというリクエストもあったと聞く。確かに本物の猫に、饒舌で感情表現も多い“ふくまる”を演じさせるのは無茶ではある。しかし、写真だけでなく、予告編で動く“ふくまる”が解禁になっても、「シュール!」と、その不安は加速するばかりだった。そして2つ目。こちらは原作ファンから多く聞かれた声だったが、“おじさま”神田冬樹のキャスティングが草刈正雄だった点だ。もともと“おじさま”の設定はイケメンだ。草刈もイケメンである。しかしタイプが違う。ここも賛否両論が分かれていた。
結果として、本ドラマは、第1話でその懸念を軽~く吹き飛ばしてみせた。“ふくまる”の声をあてたのは神木隆之介。このところ、吹き替えは声優に任せるべきとの声が強いが、神木は、これまでに『千と千尋の神隠し』『サマーウォーズ』『君の名は。』など、アニメーションや吹き替えなど、声優としての実績も豊富。その声優キャリアは実に20年になる。声の演技も抜群の安定感で、いわゆるキャラ声になることなしに、「パパさん、大好きにゃ~」に始まり、語尾に「にょ」を付ける“ふくまる語”を完璧にモノにしてしまった。そして草刈正雄。確かに原作の神田さんとは少々感じが違う。しかし、無理に原作に寄せることなく、あくまでも自然体での“草刈おじさま”でいたことで、より一層、繊細な感情の動きを丁寧に伝えてくれている。
第1話、そんな“おじさま”と“ふくまる”が出会った。ペットショップで売れ残っていた“ふくまる”。本物の猫たちが周りを囲むなか、際立つ特別感。そろそろ「別の場所へ」連れていかれるという噂も耳にし、悲壮感に加え、諦念した風に映る“ふくまる”。そこに、愛する妻を亡くし、そのことでステージに立つこともできなくなった、天才ピアニストの神田が現れ、互いの魂が惹かれ合った。
「ぬいぐるみかよ!」の“ふくまる”に、全力で、慈悲深く愛情深いまなざしを向け、優しく抱きかかえるおじさま。「可愛いね。うちのコになってくれるかい」。涙が出た。ぬいぐるみなのに、涙が出た。いや、そこにはちゃんと、“ふくまる”がいた。神木とスタッフさんの手によって生まれた“ふくまる”は、見事なまでに愛らしいひとつの命であり、その命を見つめる“草刈おじさま”のまっすぐな瞳に、私たちは、「孤独」だったふたつの魂のただただ美しい出会いを目撃したのだった。
テレビ東京のみなさま、スタッフ、キャストのみなさま、「ぬいぐるみかよ!」なんて吐いてごめんなさい。途中から観始めて「意外と可愛いね」とフラットにハマっていったという人も、この第1話の出会いは、どうにかして観てほしい。