『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に』が“圧倒的”である理由
通称“旧劇場版”と呼ばれる、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に』が上映中だ。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの最新作にして完結編になるとみられる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開に合わせての期間限定上映だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を重くとらえ、『シン・エヴァ』は公開延期となってしまった。
しかし、どのタイミングにしろ、“旧劇”が劇場で鑑賞できるというのは僥倖だといえる。なぜなら、『シン・エヴァ』が依然として公開されてない状況において、『エヴァ』の最高峰といえば、やはり“旧劇”であり、“旧劇”こそが全てのエッセンスが凝縮された『エヴァ』そのものであるからだ。ここでは、なぜ本作がそこまで圧倒的な作品なのかを解説していきたい。
シリーズ最初のアニメーション作品『新世紀エヴァンゲリオン』は、1995年に始まったTVアニメだ。監督は、当時ガイナックスに所属していた庵野秀明。TVアニメ『ふしぎの海のナディア』の次の作品として、多くのアニメファンから期待されていたが、コアなアニメファンではない視聴者にはそれほど注目されていなかった。だが、描かれる人類の危機やキャラクターたちの心理的葛藤など、次第にエスカレートしていく内容は、アニメファンのみならず様々な層の人々に衝撃を与え、再放送時には熱狂的な人気を集めることとなり、その盛り上がりは“社会現象”と呼ばれるまでになった。
『新世紀エヴァンゲリオン』が様々な人を惹きつけた理由は、一つのシリーズに数々の魅力が存在するからだ。特撮のテイストを含めたロボットアニメとしても、少年の成長物語としても、神話の謎を追うミステリーとしても、綾波レイをはじめキャラクターを愛でるアニメとしても、そしてコミュニケーションをめぐるドラマとしても鑑賞することができ、多様な要素が視聴者の心をとらえることとなった。
なかでも、緩急のリズムを効果的に変えるメリハリの効いた編集や、ケレン味のある演出、そして90年代に多くの国で問題となっていた、社会において“個”が希薄になっていくという感覚をとらえた部分は、とくに高く評価できる部分だ。
そんなTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』において、最も物議を醸したのが、ラスト2話である。エピソードがどんどん盛り上がり、渚カヲル登場のエピソードでピークを迎えたシリーズは、最後の2話で、突然に舞台劇のような演出となり、セリフの台本などをそのまま映した映像などが登場する、当時TVアニメとしては考えられないほど実験的かつ難解な内容となった。
そんなラストに不満を感じるファンが少なくなかった状況と、社会現象が後押しして、『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版が企画された。それは、TVシリーズの総集編とラストの2話を描き直すというものである。当初は一作にその内容を詰め込むつもりだったが、製作の遅延により、TVシリーズ総集編と25話の前半部を含めた『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997年春)、25話と最終話を描き直した『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年夏)の2作に分かれることになった。これらは当時、「春エヴァ」「夏エヴァ」という愛称で呼ばれることとなった。
そして翌年、その2つを部分的に組み合わせた再上映作品『REVIVAL OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2/Air/まごころを、君に』(1998年)が公開。今回、2021年に再上映されているのは、ほぼこのかたちに近いものといえる。
ちなみに、「春エヴァ」が上映される頃は、地方によってはテレビ東京系列の番組が放送されてなく、TVシリーズを観ることのできていないアニメファンたちが存在していた。ビデオ版もまだ途中までしか発売されてなかったため、ファンたちは東京などでTVシリーズを録画している知り合いにダビングしてもらったものを互いに回し合うという、涙ぐましい努力をしていた。またそんな不遇な地方ではTVシリーズを劇場で上映するという緊急措置が行われるなど、かなり混沌とした状況となっていたのだ。