『35歳の少女』最終回は噛み締めたい金言の数々が King Gnu「三文小説」が染み込むラストに
柴咲コウが主演を務めるドラマ『35歳の少女』(日本テレビ系)が12月12日放送の第10話で最終話を迎えた。
最終話では今までの波瀾万丈の物語がまるで嘘かのように、望美(柴咲コウ)たち登場人物それぞれのハッピーエンドが描かれる。そこにあったのは、25年間、望美が目覚めるのを待ち続けた多恵(鈴木保奈美)のように、諦めることをやめなかった一人ひとりが胸を張って生きる未来だ。
望美は夢だったアナウンサーに、愛美(橋本愛)はグラフィックデザイナーへと就職し、進次(田中哲司)は1級建築士を目指し始めていた。結人(坂口健太郎)は教師としての立場は変わらないが、過去の自分と決別し、勇気を振り絞って行動を起こしていく。
いじめを受ける生徒が退学届けを出すという状況は、過去に結人が教師を辞めた時と同じだった。結人は辞めるのを覚悟で教師の立場からではなく、自分自身の言葉で生徒たちに話しかける。クラスにいじめがあること、それを見て見ぬ振りをすることは同じように罪であること、人の話を聞いてあげられる人間になってほしいということ。それは同時に過去の結人が起こせなかった行動であり、望美に教えられた生き方でもあった。結人の思いは生徒たちへと伝わり、いじめを受けていた生徒も登校してくる。自分を曲げずに教師の道を続けた結果だ。
第7話のカセットテープが途中で途切れ、答えが出ずにいた家族が仲直りする方法も、望美の口から言葉となった。その答えは、必要ない。「そんなものなくても仲直りできるのが家族なんだから」というのが望美の見解だ。少々遅くはなったが、時岡家もようやく仲を取り戻している。
この望美の言葉を始め、最終回は金言だらけの物語だったように思う。第8話で望美が言った「私たちはさよならを言うために出会ったの」のアンサーとして、結人が返す「俺たちは死ぬまで一緒にいるために出会ったんだ」。アナウンサーとして北海道のローカルテレビに就くことに迷う望美に結人がかける「正しいかどうかじゃなくて、自分の選んだ道を正しくするか」という言葉。
さらに結人が生徒たちに紹介する「世界中の人間の中で俺という人間は1人しかいない。だからこの世の中で大切な存在なんだ」という児童書『モモ』の一節。望美のナレーションによる「私たちは英雄なんかじゃない。普通の人間だ。でも、人を愛することはできる。幸せを願うことはできる」という提言。そして、アナウンサーとして夢の一歩を歩み始めた望美が確信する「これがあたしだ」という言葉はこのドラマを象徴するセリフである。