『市民ケーン』の斬新さ、トラブルの裏側とは 『Mank/マンク』を観る前に知っておきたいこと

新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストと若き天才オーソン・ウェルズの関係性

 映画『市民ケーン』の主人公ケーンのモデルとなった実在の人物、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、ゴールドラッシュ時代に銀鉱山で成功を収めた父親ジョージのもとに生まれた。そんな大金持ちの父親が所有していた新聞社サンフランシスコ・エグザミナーを譲り受けたことから、ハースト・コーポレーションを立ち上げ、次々に媒体を買収し、イエロージャーナリズムと呼ばれるセンセーショナルなゴシップ記事を中心に部数を伸ばしていく。タイムズ誌、ニューヨーク・ポスト紙、出版社ハーパー・コリンズを傘下にもつニューズ・コーポレーションのCEOルパート・マードックのような存在だが、現在とのメディアの数を比較したら、より当時のウィリアム・ランドルフ・ハーストの方が影響力があったことは理解できるだろう。

 そんな新聞王ハーストが、カリフォルニア州サンシメオンの丘に建てた大豪邸は、165の部屋数があり、敷地内には庭園、プール、動物園があるほど巨大で、現在も歴史的建造物として一般公開されている。ハーストは、妻との間に5人の息子を設けたが、ショーガールのマリオン・デイヴィス(『Mank/マンク』では、アマンダ・セイフライドが演じている)と出会うと、彼女を女優にさせるために、映画会社コスモポリタン・プロダクションを設立したり、デイヴィスのために上記の大豪邸「ハーストキャスル」(映画『市民ケーン』ではザナドゥと呼ばれる大豪邸のこと)を建設することになる。

 一方、オーソン・ウェルズは舞台劇『マクベス』『ロミオとジュリエット』などで絶賛され、ラジオドラマ『宇宙戦争』では聴者に火星人襲来を信じ込ませるほどの迫真の演技で評価されたことで、23歳の時にはすでにタイム誌のカバーを飾ったこともあった。そんな天才は、映画界に招かれた際も、派手に様々な媒体で宣伝された。だが当時、ウェルズは作家ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』を映画として先に製作する予定だったものの、予算オーバーのために断念していた。次に、ハワード・ヒューズをモデルに映画化を企画することになるが、実はこのハワード・ヒューズこそが、映画『市民ケーン』の最初のモデル。だがウェルズ監督は、実在のハワード・ヒューズの悪ふざけをするような奇想天外な人生が観客には受け入れられないと判断したことから、ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルに映画『市民ケーン』を制作することになった。そして、その内容をめぐって二人は全面対決することになっていく。

 映画『市民ケーン』の冒頭で主人公ケーンが遺したダイイングメッセージは「バラのつぼみ」だ。これは、主人公ケーンが少年時代に使っていたソリ(ソリの裏に書かれていた)を意味し、権力に溺れ、孤独になった主人公ケーンの純粋な少年時代への回帰を意図している。だがハリウッドでは、この「バラのつぼみ」は、新聞王ハーストがマリオン・デイヴィスの性器を「バラのつぼみ」の愛称と呼んでいたという噂話を耳にしたオーソン・ウェルズが、明らかに隠れた意味合いも含めてダイイングメッセージにしたとされる(このことは、フィンチャー監督の新作でも触れられている)。ちなみに『市民ケーン』での主人公ケーンは愛人に見捨てられ、孤独のうちに死んでいくが、実際にはマリオン・デイヴィスは、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが亡くなるまでともに暮らしていた。

 だが、そういったあからさまな挑発が、ハーストの逆鱗に触れ、彼によって映画『市民ケーン』の上映妨害運動が行われ、ハーストの報復を恐れて上映を拒否する映画館もあったのは事実だ。さらに今作を手掛けたスタジオ、RKOでさえも、数回も本作の公開日を延期していた。そのうえ実際に撮影中、ウェルズ監督がハーストの報復を恐れて、「キャストとクルーがいるのは、リハーサルだからだ」とスタジオの重役たちに告げて撮影したり、セットを訪れることを告げずに来たスタジオの重役には、キャストやクルーは、突如撮影をやめ、ソフトボールをしてごまかしていたこともあったそうだ。その後のオーソン・ウェルズ監督作品に、海外資本の作品が多くなるのも、この対立が影響を及ぼしていたからだ。もっとも『Mank/マンク』では、主人公の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツとウィリアム・ランドルフ・ハーストの対立が描かれているが、まずウェルズとハーストの争いも、鑑賞者には先に知っておいてほしい。

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