『悪魔のいけにえ』とヌーヴェル・ヴァーグの共通項は? ザ・シネマメンバーズ配信作から考える

 サブスク系ミニシアター、ザ・シネマメンバーズで配信される作品を解説する連続企画。第2回は、『悪魔のいけにえ』『ピクニック』『ラ・ジュテ』の3作を紹介する。(第1回はこちら

『悪魔のいけにえ』をヌーヴェル・ヴァーグ作品のように観よう

 今回ご紹介するラインナップは『悪魔のいけにえ』(1974年/監督:トビー・フーパー)、『ピクニック』(1936年/監督:ジャン・ルノワール)、『ラ・ジュテ』(1962年/監督:クリス・マルケル)である。いったいどんな組み合わせだ?

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 とりわけホラー映画『悪魔のいけにえ』の並びに違和感を覚える向きは多いかもしれない。しかし本作はモダンホラーの夜明けを告げる、ジャンル映画の(あるいは、それを超えた)偉大な金字塔であり、例えば2017年5月に刊行されたムック本『究極決定版 映画秘宝オールタイム・ベスト10』(洋泉社)ではオールタイムの映画史上第1位に選出。確かに後続への影響力という点では『市民ケーン』(1941年/監督:オーソン・ウェルズ)や『2001年宇宙の旅』(1968年/監督:スタンリー・キューブリック)や『東京物語』(1953年/監督:小津安二郎)などに劣らず、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やスミソニアン博物館にもマスターフィルムが所蔵されている永遠のクラシックである。

 というわけで、この3本をヌーヴェル・ヴァーグからの補助線を引いて観てみよう――というのが本稿の試みとなる。

 ちなみにヌーヴェル・ヴァーグ(仏語で「新しい波」の意)とは、1950年代後半に起こったフランスの若い監督たちによる映画運動体のこと。批評家アンドレ・バザン(1918年生~1958年没)が編集長を務めていた頃の映画誌『カイエ・デュ・シネマ』のもとに集っていた気鋭の若手批評家のグループが、やがてカメラを手にし、従来のシステムに囚われない自由な映画を撮り始める。それがジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)、クロード・シャブロルの『美しきセルジュ』(1958年)、エリック・ロメールの『獅子座』(1959年)などの画期的な作品群を生んだ。街頭(ストリート)でのロケーション撮影、同時録音や即興演出などを駆使した作風は、フランス映画の「良質の伝統」を否定する既得権益へのカウンターでもあった。

 またヌーヴェル・ヴァーグ派の批評活動として重要なのは、仰々しく文芸っぽい、お芸術系の監督ではなく、どんな娯楽ジャンル映画にもブレない個性=刻印(サイン)を残す職人監督の中にこそ絶対的な作家性を見たこと――これが彼らの唱えた「作家主義」である(現在、この言葉はもっと広義あるいはラフに使用されている)。特にアルフレッド・ヒッチコックとハワード・ホークスを「職人=作家」の最高峰とする「ヒッチコック=ホークス主義」を思想的な看板としていた。

 ざっと以上のことを前提にして、では本題に進みたい。

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