『鬼滅の刃』大ヒットの理由は原作とスタジオの相性にあり? TVシリーズと劇場版の表現から探る

『鬼滅の刃』大ヒットの理由は原作とスタジオの相性にあり? TVシリーズと劇場版の表現から探る

 そんな研鑽の結果が、ついに爆発するのが、「那田蜘蛛山編」といわれるTVシリーズの一部で描かれる、強敵とのバトルシーンである。次々に技を繰り出し、さらには回想シーンをはさみながら、派手なエフェクトと手描きアニメーション、縦横無尽に動く視点によって表現されたバトル描写は、原作が描いたアクションの流れを、極限まできらびやかに連続性をもって生まれ変わっている。これによって、漫画では見過ごされてきた細部の魅力が強調され、多くの観客がアクションそのものを深く味わえるようになるのである。

 ufotableは、そんな“増幅器(ブースター)”としての役割を受け入れた上で、余白にあらゆる創造性や表現手法を投げ込むことを選択したということだ。こうして、炭治郎の畳み掛ける技の連続や、仲間の善逸(ぜんいつ)らのアクションの魅力は、原作の表現を否定しないかたちで“増幅”されたものとなる。

 そこで、何が起きるか。もともと原作漫画が用意している、読者を喜ばせる最大の魅力というのは、アクションの果てに生まれるカタルシスの爆発である。ここでは、鬼に対して効果的な武器「日輪刀」によって“鬼の首を斬る”、または日光によって“鬼を滅する”ことで、「鬼滅」の本懐を遂げる瞬間が、それにあたるだろう。人間を襲う鬼による被害や、鬼の冷酷さや残忍さ、そして炭治郎たちが苦しめられるほど、その蓄積はカタルシスを盛り上げる火薬の量を増すことにつながっていく。そして、鬼が敗れる瞬間、爆弾が起爆するように、それまでの重圧からの解放が巡ってくる。ブースターの役割を担っているアニメ版では、そのカタルシスの爆発の規模がはるかに大きくなるのだ。「那田蜘蛛山編」は、まさにそのメカニズムをきわめて分かりやすく証明するエピソードとなった。

 それは、もちろんベースとなった原作漫画自体の持つ魅力があってこそだ。『鬼滅の刃』が抜きん出ている特長は、首を狩るという、分かりやすい目的が存在することである。通常の人間におけるフィジカル能力をはるかに超えた戦いを表現する多くのバトル漫画は、どのくらい敵にダメージを与えられれば勝利を得られるのかが分かりづらい。そこで、作者のリアリズムのバランスやアイディアが、その都度問われることになるのである。その点、『鬼滅の刃』は基本的に、斬る、滅するという一点に全ての想いを集約させることができる。

 これは、ufotableにとっても、自分たちの製作能力を最大限に活かす機会に恵まれたといえるのではないか。この、きわめて明快なメカニズムと、“妹や人々を救うために奮闘する”という主人公のシンプルな行動原理を得たことで、表現が多くの視聴者、観客の心に届くものになったのだ。

 くわえて、炭治郎の家族が蹂躙されたように、カタルシスを醸成する、鬼の残忍さを示すエピソードの強烈さ、禍々しさも、原作者・吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)の得意とするところだろう。多くの鬼たちは人間を喰らうが、それだけでなく被害者の遺品をコレクションしていたり、助けを請う人間の表情を楽しんだりと、サイコキラーのような性質を持っていることがある。このような猟奇的表現や、そこに一種の恍惚を求めるような倒錯した耽美というのは、大正時代の日本を舞台にしていることも相まって、大正期の作家である泉鏡花の『高野聖』などの怪奇的な幻想文学を想起させられるところがある。このような趣味を、『子連れ狼』や『うしおととら』など、既存の漫画の要素をくわえながら、バトル漫画の文脈に乗せたところに、本作のユニークさがある。

 そんな鬼のおそろしさ、鬼を退治することの快感を描く一方で、一部の鬼については、かつて人間だった頃の記憶や、その想いを鎮めるような場面を作っているという特徴もある。敵の背景を描くことでドラマを生み出すというのは、本作ばかりではなく、少年漫画の手法としては珍しくない。だがここでは、鬼はもちろん、鬼を倒す組織「鬼殺隊」に所属する少年少女たちが、それぞれに傷つけられ、すでに取り返しのつかない状況に追いつめられているように、基本的に全員が不幸のただなかにあるというのが印象的なのだ。

 そんな者たちで構成されている、鬼、鬼殺隊、どちらの陣営も、厳しく監視されながら危険な任務を与えられ、命のやり取りによって、その存在が消費され続けている。こんな状態が長年の間繰り返し続いけられているというのだ。この絶望的な世界観は、災害や経済状況、政治状況を含めた近年の日本の社会情勢が背景にあるのではないか。国連で調査している「世界幸福度ランキング」において、ここ5年間、日本の順位は下降の一途を辿っている。そのような暗い世相によって、人々が『鬼滅の刃』のダークで不幸な物語に共鳴しているのかもしれない。

 そう考えると、主人公が家族を失うという展開は、かつての日本から失われた、平凡な幸福の喪失を示す象徴的な悲劇にも見えてくる。そして登場人物たちが、不幸のなかで感じるささやかな慰めこそが、現在多くの人々が求めている、唯一リアリティのある幸福の姿であり、子どもたちが感じている、漠然とした未来への不安を麻痺させる僅かな希望なのではないだろうか。

 さて、これらを踏まえたうえで、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、どうだったのだろうか。

※次ページ以降、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の一部ネタバレを含みます。

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる