『異端の鳥』監督が語る、作品に込めた思い 「深いところで心に触れるようなものにしたかった」

『異端の鳥』監督が語る、独自の哲学

 映画『異端の鳥』が全国公開中だ。第二次世界大戦中、ナチスのホロコーストから逃れるために、たった1人で田舎に疎開した少年が差別と迫害に抗いながら強く生き抜く姿と、異物である少年を徹底的に攻撃する“普通の人々”を赤裸々に描いた本作。ポーランドでは発禁書となり、作家イェジー・コシンスキ自身も後に謎の自殺を遂げたいわくつきの作品『ペインティッド・バード』の映像化に挑んだ。ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門で上映されユニセフ賞を受賞したほか、第92回アカデミー賞のチェコ代表作品にも選ばれた。

 リアルサウンド映画部では、ヴァーツラフ・マルホウル監督にインタビュー。実に11年もの歳月をかけて映像化を果たしたという本作に込めた思いから、監督独自の哲学まで語ってもらった。

「これは人類そのものを考える物語」

ーー原作を映画化するにあたって最も重視したことは?

ヴァーツラフ・マルホウル監督(以下、マルホウル監督):私は、人々にメッセージを伝えなければという思いで原作を映画にするつもりはなかった。人間のモラルというものについて問いかけるような作品にしたかった。白黒の映画だけど、キャラクターの内側が善悪の2つで分けられるものではなく、多種多様なものになるように努力した。例えばステラン・スカルスガルド演じるドイツ人の神父も、ただ暴力に惹かれているのではなくて、その本質はすごくナイーブな人間だと思う。彼は、みんなが自分と同じぐらい善人だと思ってしまったというだけなんだ。暴力しか目につかないという人もいるかもしれない。そういう人はきっとフォルムだけを見て中身を観てくれていないと思う。

ーー暴力描写を映す上で気をつけていた部分は?

マルホウル監督:いい質問だね。僕は、全ての人がそれぞれにバイオレンスという概念や、暴虐性、人間性というものへの独自の理解の仕方を持っていると思う。だから、映画監督にもそれぞれやり方がある。僕はいわゆる最近のアメリカ映画でよくある、マシンガンやノコギリが出てきたりするような“ポップコーンムービー”がとにかく嫌いでね(笑)。僕が描くバイオレンスは、深いところで心に触れるようなものにしたかった。ただ先ほど言ったように人によって暴力への理解の仕方は違う。だから、慎みのある暴力表現になるように気をつけた。

ーー非常にリアリティーのあるものになっているかと思います。

マルホウル監督:うん。だからこそ観ている人はいろんなことを考えさせられる。考えるということはときには辛い行為だ。「ずっと楽しんでいたい」と思うのは分かる。でも、それは自分が本当に感じていることを隠してしまうことでもある。現実の生活はいつだって楽しいだけではない。病気や戦争は実在する。そうしたものに対して耳と目を塞ぐというのは、ある意味狂気的でもあると思う。

ーー本作を制作するにあたって、同時代性は意識していましたか?

マルホウル監督:ある意味残念なことでもあるんだけれど、本作は、過去、現在、そして未来とシンクロし続ける物語だと思っている。つまりタイムレスなストーリーだということ。なぜなら、これは人類そのものを考える物語でもあるから。神がいると仮定したとき、「なぜ神は人間を作りたもうたのか」という問いに私たちは常に直面している。その質問に答えるために私たちが唯一できることは、自分たちがより良い人間になろうとすることだと思っている。より良くあろうとするためにはまず悪の存在を知らなければいけない。非常に物議を醸すアイデアだと思うけれど、僕はこの映画を通して観客に対しても自分に対しても、それを問いかけている。

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