『1917 命をかけた伝令』をワンカットで描く意味性とは 神山健治が語る、映像の没入体験
アニメと長回し、そして映像の意味性とは
――全編ワンカット、あるいは長回しという演出はアニメ監督にとってどういうものなのでしょうか?
神山:セルアニメの時代は、実写以上に長回しをやるのは困難でした。やってみたいと思いながらも、勝てない戦をしても意味がないので、僕は長回しはそれほどやってきませんでした。でも、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で、チャットルームでの会話だけで17分くらいのシーンを作っていて、そこでは結構長く回しています。アニメで会話劇をやっても意味がないと思われていた時代だったので、会話だけでもエンタメになるはずだと思って、『十二人の怒れる男』を参考にしてやったんです。
――神山監督は、『ULTRAMAN』や『攻殻機動隊 SAC_2045』などのフル3DCG作品を、モーションキャプチャを使って作っておられますが、CGなら長回しもできるわけですよね。
神山:技術的にはすでに可能ですが、これは果たしてアニメーションなのかなと自分で作っていて思うこともあるんです。それに、僕は取材でも現場でも「映像の意味性」ということをよく言うのですが、CGでワンカットをやっても、大変さが感じられないんです。「だってCGでしょ、モーションキャプチャで人の動きをそのまま映したんでしょ」って思われちゃうし、そこまで言わないにしてもなんとなく人はそう感じてしまうんです。本当はCGでもワンカットで作るのは大変なのですが。実写や手描きアニメだから「すごい」と思ってもらえるのであって、CGでワンカットをやる意味性が果たしてあるだろうかということです。CGで長回しをやるなら、アクションシーンであれば意味があるとは思います。
――映像の意味性という点で、デジタルはフィルムと比べて長く回しやすくなっており、今後さらに撮影機材や特機が安くなって、誰もが入手できるようになれば、ワンカットに挑む意味性も減っていくということでしょうか?
神山:減っていくかもしれないですね。最初に言った嫌な予感というのはそれで、それしか売りがない作品だったらどうしようと思ったんです。それに、ワンカットで撮ることで不自由さも獲得してしまうし、そのやり方がお客さんにとって本当に良いのかを考えて技術を選ばないといけません。長回し以外でも、例えばデジタルでクリアな映像が撮れるようになり、今は8Kまで登場していますが、自然風景を撮る以外に、物語として8Kで何を撮るべきなのか、今のところ僕にはわからないです。逆に、プロが持ち込まないところにカメラを持っていく素人の荒っぽいYouTube動画の方が刺激的だったりするわけですよね。そこまで考えないと、今後プロがプロたりえる理由がなくなってしまうんじゃないかと思います。
――少なくとも、この映画には、ワンカットで撮るべき意味性は強烈にあったわけですね。
神山:そうですね。第一次世界大戦は、兵器も今ほど発達していなくて、どちらかと言うと人間が主役なので、それをワンカットで人間にぴったりついていくというのはよかったと思います。企画として手法が先だったのか、脚本が先だったのかわかりませんが、この物語はワンカットで撮ったほうが豊かになると判断したのでしょう。これが第二次世界大戦になると、難しかったかもしれません。弾の数も増え、武器も強力になっている。一人の人間にぴったりついていく意味が減るかもしれないですね。
――なるほど、第一次世界大戦が機械ではなく人による戦争だったから、この手法が生きたんじゃないかということですね。
神山:ええ。伝令を走って伝えるという話なので、監督もこれで行こうと思ったんじゃないでしょうか。映画監督は誰もが一度はワンカットで撮ってみたいと考えるだろうし、戦争ものも生涯で一度は挑みたいと思うんじゃないですかね。これは、たまたまその両方が実現できる企画だったんだと思います。