『千と千尋の神隠し』はなぜ多くの人に受け入れられたのか 作品に反映された宮崎駿監督の哲学
しかし、本作はそういう展開にもならない。銭婆は、見た目は湯婆婆にそっくりだが、じつはより理性的な魔女であり、千尋をあたたかく迎え助けてくれるのである。そして、迎えにきたハクと千尋が出会うシーンが、本作のクライマックスとなる。この展開を拍子抜けだと思う観客もいるかもしれない。だが、ここで悪者をやっつけることで問題を解決するという物語の定型が、壊されているということに注目すべきである。もともとの縦構造の世界に巣食う問題をゴリ押しで解決するのでなく、全く別の場所で、しかも予想もしなかった意外な解決法を見出すのである。
ところ変われば考え方も変わる。湯婆婆のように、利益を追い求めて日々忙しく稼ごうとする者もいれば、銭婆のように、慎ましい生活をしながら、ゆったりとした時間を過ごすことこそが豊かさだと考える者もいる。この価値観の違いが、千尋に新たな人生経験と、広い視野を与えるのである。考えてみれば、湯婆婆のところで働き、“他人のために何かをする”ことの尊さを、すでに千尋は理解している。それにくわえ、銭婆の生き方を目にすることによって、千尋はさらにものごとを客観的に深い目で見られるようになっている。
本作は、この成長を描くことが、分かりやすい悪役を打ち倒すことよりも大事であり、意義深いことだと主張しているように感じられる。最終試験によって千尋の鋭い洞察が光るのも当然である。そして千尋は油屋の外の世界を、自分の意志で選びとるのである。
このように本作は、不思議な世界を舞台にしながらも、あくまで現実社会に対応した少女の成長を、かなり過激な要素をとり入れながら描ききった、希有な傑作といえるだろう。そして同時に、本作はここまで内容を解体せずとも、書いてきたようなテーマを、直感的に受け取ることができるのである。これは、宮崎監督が軸をブレさせずに一貫した描写によって自らの哲学をシーンごとに反映させているからである。そこが、広い支持を受ける要因になっているはずなのだ。
そして特筆すべきは、そんな難解な内容を含み、大人の観客をうならせながらも、本作は子どもを喜ばせる作品でもあるということだ。筆者が本作を、公開当時に映画館で鑑賞した際に衝撃的だったのは、客席に座っていた10歳以下の大勢の幼い子どもたちが上映中に大盛り上がりしていたという事実だ。千尋が階段を猛スピードで駆け下りるシーンや、ものすごく臭い神様が油屋に現れたときの子どもたちの反応はものすごく、まるで場内の熱気が渦を巻いてるように感じたものだった。後にも先にも、筆者はここまで強烈な劇場体験をしたためしがない。
『千と千尋の神隠し』が、日本で最も成功した映画作品となり、世界的な名作となったのは、これらの達成を踏まえると、むしろ当然のことだといえるだろう。
最後に言及しなければならないのは、日本で当初発売されていた本作のDVDは、海外で発売されているものと比べてカラーバランスが崩れていたという事実だ。近年発売されたデジタルリマスター版Blu-ray、DVDではその問題が解決されたが、ここまで素晴らしい作品が、日本の作品なのにもかかわらず、日本人ばかりが長い間、本来の色調で楽しむことができなかったのは理不尽なことだった。
だが、いま劇場で本作を観ることができるというのは、今度は日本に住む者の数少ない特権だといえよう。とくに映画館で本作を体験したことのないファンや、いまだ本作を観たことのない観客は、ぜひスクリーンで観ることができるこの機会に、本作の奥深さと感動を味わってほしい。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『千と千尋の神隠し』
公開中
原作・脚本・監督:宮崎駿
プロデューサー:鈴木敏夫
音楽:久石譲
主題歌:木村弓
声の出演:柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、上條恒彦、小野武彦、菅原文太
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