アンナ・カリーナはなぜ映画に愛されたのか? ゴダールら作家との蜜月から、その演技を振り返る
『女は女である』の中でアンナはとにかく忙しい。どこを切り取っても出色のシーンで構成された本作の中でも、とりわけアパルトマンのシーンにアンナの忙しさが見て取れる。どれだけ忙しいかといえば、「24時間以内に子供がほしい!」と駄々をこねるその理不尽なセリフの性急さにふさわしい忙しさ。あるいは「なぜいつも女ばかりが苦労するの?」というセリフに倣って、その苦労を運動としてそのまま描いたかのような忙しさ。身振りとアクションの凝縮。まるで身振りの百貨店。それほど広くない室内シーンにこれほどの多様な身振りとアクションを凝縮させてしまえることに震撼する。
アンナとジャン=クロード・ブリアリのたった2人によるショウタイムであるにも関わらず。ここには心理を追うような演技の物語的叙述は存在しない。アンナは電気スタンドを傘のように持ち歩き、ブリアリは自転車で狭い部屋をぐるぐる回る。やがてジャン=ポール・ベルモンドが加わりシャドーボクシングを始めるや、ついに3人組という図式が構成される。この鮮やかさ! 一方、多くの方が指摘するように、ゴダール作品で唯一ともいえよう多幸感がスパークした『女は女である』と、次作となる『女と男のいる舗道』(1962年)は、完全に対照的な作品である。娼婦・ナナは、ファーストショットの逆光シルエットの輪郭から既にその決定的な悲劇を肖像として浮かび上がらせる。むしろこの肖像の輪郭に、デンマークから無一文でパリに放浪した少女時代のアンナの実人生の孤独を読み取るのがふさわしく思える。映画館で『裁かるるジャンヌ』(カール・テオドア・ドライヤー監督/1928年)のファルコネッティと向き合うナナは、1人映画館で何度も同じ映画を観てフランス語を習得したアンナの実人生とも重なる。
また、この作品でゴダールが発見したものは、次作『はなればなれに』(1964年)に、あの美しいマジソンダンスという幸福な導きをもたらすだけでなく、後のアンナ・カリーナのキャリアにおいても重要な側面を担うこととなる。『女と男のいる舗道』のビリヤード場でのダンスシーンと、『はなればなれに』のマジソンダンスという二つの映画史に残るダンスシーンは、アンナの振り付けによるものなのだ。アンナの振り付けを受け入れたというよりも、ゴダールはむしろアンナの能力の発見へと向かうドキュメンタリー性に積極的に魅了され、アンナを再発見したのであろう。
この頃のゴダールは自身の資質を、「どちらかといえばドキュメンタリーから出発して、ドキュメンタリーにフィクションによる真実をもちこむ(=発見する)」映画作家と定義している。ゴダールはアンナを撮るという“ドキュメント”のその過程で、「アンナ・カリーナはアンナ・カリーナである」ことを発見した。ゴダールの投げかけた視線は、アンナによって新たな身振りとして投げ返された。そしてこの理想的な共同作業によるお互いの発見は、後に映画作家アンナ・カリーナとしてデビューすることになるアンナの大きな一歩となる。