『PSYCHO-PASS 3』トリガーを握る意味を考える 梓澤康一が一流のヴィランたる由縁

『PSYCHO-PASS 3』トリガーを握る意味を考える 梓澤康一が一流のヴィランたる由縁

 シリーズ3作目となる『PSYCHO-PASS サイコパス 3』は、膨大な数の伏線を張り巡らせたまま地上波の放送を終え、その続編『FIRST INSPECTOR』は劇場限定公開とAmazon Prime Videoでの独占配信に移行してしまった。この“続きは◯◯で”方式の煩わしさに加え、『FIRST INSPECTOR』でもなお未解決のまま放置された謎の数々に、シリーズ中でもとりわけ賛否の相半ばした作品となったことは否めない。

 しかし、設定と伏線が膨大であるからこそ、カオスという繭玉から一本の理路を紡ぎ出すような楽しみ方があることも確かだ。本記事では、これまでのシリーズも振り返りながら、『PSYCHO-PASS 3』の中に織り込まれた一本の道筋を辿ってみようと思う。

シビュラシステムのキャラクター性

 シビュラは人間社会を律するシステムである。しかし同時に、「免罪体質者」の脳を貪欲に取り込みながら進化していく姿は、『ドラゴンボール』に登場するセルさながらの“集合生命体”であり、その印象は紛れもなく醜悪なラスボスのそれである。ロールプレイングゲームに喩えるなら、レベルアップシステム、戦闘システム、ジョブシステムなどを律する設計そのものが、世界内で“成長する敵キャラ”として登場しているようなものだ。世界設計でもありキャラクターでもあるというこのシビュラシステムの二重性が、『PSYCHO-PASS』というシリーズの世界観をユニークにしている。

 とりわけ『PSYCHO-PASS 3』は、経済・政治・宗教・外交などの部分システムを包含した社会システム全体へと舞台を大幅に拡張している。進化発展を続け、汎システムに至ろうとするシビュラ。その姿は、養老孟司の『唯脳論』(1998年)における「都会とは、要するに脳の産物である」(養老孟司『唯脳論』、筑摩書房、1998年、p.7)というテーゼのアニメ的戯画のようでもある。

 シビュラというキャラクターは本作において何を取り込み、今後どう進化していくのか。『PSYCHO-PASS』というシリーズを楽しむ上での1つのポイントがここにある。

トリガーと決定の遅延

 人間の精神状態を数値化・分析することで職業適性や欲求実現の手段などを合理化するシビュラシステムは、社会から“思考する時間”を無用なものとして排除した。ところが『PSYCHO-PASS』という作品は、このシステムの淀みない流れを抵抗素子のように阻害する、ある種のギミックを設けてもいる。それがドミネーターの「トリガー」である。第2期の中から、対照的な2つのシーンを比較してみよう。

 「#4 ヨブの救済」において、シャッターで遮蔽され対象を視認できない状況にあった執行官の須郷は、上司の青柳を事件の犯人と誤認し、ドミネーターで殺害してしまう。「犯罪係数が高い方を執行しただけです」と報告する須郷は、何の躊躇いもなく数値に反応しただけの殺戮マシーンに他ならない。

 夢野久作『ドグラ・マグラ』(1935年)に登場する正木教授は、その名も「絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず」と題された冊子の中で、人間の脳の働きを「電話交換手のようなもの」と断じた(夢野久作『ドグラマグラ上』、角川文庫、1976年、p.210)。脳は身体の細胞一つひとつに宿る意識を「反射交感」している一器官に過ぎないというわけだ。思考せず、数値に反応してトリガーを引いた須郷は、シビュラにとってまさしくこの「電話交換手」程度の存在に過ぎない。

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