香港映画の新たな傑作! アンソニー・ウォン主演『淪落の人』が実直に語る、明るいメッセージ
事故で半身不随になった中年男性、リョン・チョンウィン(アンソニー・ウォン)。妻とは離婚して、息子は遠くで大学生をやっている。人生に何の夢も持てず、精神的に荒んだ日々を過ごしていた。要介護の身でありながら、彼の態度についていけず、介護士は次々と辞めている。今では元同僚のファイ(サム・リー)とゲームで遊んだり、AVを見るくらいしか楽しみがない。そんなある日、若いフィリピン人女性エヴリン(クリセル・コンサンジ)が住み込みの家政婦としてやってくる。チョンウィンは広東語も通じないエヴリンに苛立ちを覚えるが、懸命に働く彼女に少しずつ心を開いていく。やがてチョンウィンはエヴリンが懸命に働く理由と、彼女が昔からの「夢」を諦めつつあることを知る。
「淪落(りんらく)」。聞き慣れない言葉だが、「落ちぶれる」という意味である。原題は『淪落人』だが、本編を観終わったあとの印象は、英語タイトルの『Still Human』の方が近いかもしれない。本作は人生に希望を失いかけている2人の人間が、互いの「夢」を支えにして立ち上がるまでを描いた物語だ。
主人公であるチョンウィンは半身不随になったことで、孤独で、頑固で、自暴自棄と言ってもいい状態に陥っている。息子から大学の卒業式に来てほしいと言われても、「こんなオレが行っても、お前の恥になるだけだろう」と断ってしまう。周囲の人間にも厳しく当たり、孤独ゆえに頑固になり、頑固だからもっと孤独になる。いわゆる負のスパイラルだ。チョンウィンの場合は半身不随という肉体的な形になっているが、自分に引け目を感じて卑屈になり、他人との関わりを拒絶したことがある人なら――もっと端的に言うなら「どうせ自分なんて」と考えたことがある人なら――誰しも彼に共感できるのではないか。一方、チョンウィンの家政婦になるエヴリンは、家庭環境のせいで貧困に苦しむ女性だ。本当は写真家を志しているが、周囲がそれを許さない。流れ着いた香港でも、彼女は偏見と差別に曝される。まさに人生の岐路に立つ若者だ。
本作はそんな2人の心の交流を丁寧に描いていく。「丁寧」だと感じるのは、2人を完全な善人にも悪人にもしていないからだろう。チョンウィンはエヴリンに対して厳しいことを言うし、エヴリンもフィリピン人仲間から「頭がイイと分かると仕事が増えるから、バカのふりしてなさい」というアドバイスをもらうと、すぐさま実行する。それなりにチョンウィンと仲良くなったあとに、やむを得ない事情があったとは言え、何も話をせずに重大な裏切りをしてしまう。2人は時に意地悪にもなるし、後ろめたいこともする。しかし、それでも2人は善人である。チョンウィンもエヴリンも、困っている人は迷わず助ける。目の前で子どもが誤って風船を手放してしまったら、反射的に手を伸ばすタイプの人間だ。そこに損得勘定や細かい理由はない。もちろん2人は決して口にしないが、人間なら当然のことをしているだけなのだ。2人は確かに落ちぶれているが、まだ人間なのである。