『風の電話』インタビュー
モトーラ世理奈×諏訪敦彦監督が振り返る、『風の電話』撮影で出会った“震災後の日本の家族”
諏訪「家族もコミュニティも傷ついてバラバラになっている」
ーー印象的だったのは、大槌に向かう途中で、埼玉でクルド人と交流するシーンです。あのシーンがあったことで、この作品は、先ほど監督がおっしゃったように「故郷」についての映画なんだと感じました。
諏訪:最初は共同脚本の狗飼恭子さんのアイデアとして、難民の問題を取り入れてくださったんですが、僕もすごく面白いなと。あのシーンは、外国人の俳優に演じてもらうというふうにはしたくありませんでした。現実に、彼らのような生活を送っている人はいるので、東京芸大の同僚で、演劇をされている高山明さんから、クルド人のコミュニティを紹介してもらい、映画に出てもらうことになりました。あそこのエピソードはほぼ現実のエピソードで、メメットさんは被災地にボランティアに行ったけれど収監されて、撮影の時点で1年と3か月、奥さんと息子さんと暮らせていなかった。それは特殊な話ではなくて、僕たちが知らないだけで日本国内に3000人くらいいるそうで、関東地区の解体現場で肉体労働をしているという現実があります。その今の日本に起きていること、彼らが作品の中でいてくれたことで、作品がより立体的になったのではないかと思います。被災人たちだけではなくいろんな境遇の人がいて、それぞれの暮らしがあるということを、この映画の中で見せたいなと。
ーー一緒に食事をするシーンはドキュメンタリーを見ているようでした。
諏訪:そうですね。実際は1時間くらいカメラを回していました。彼らは役者ではないため細かい要求はできないので、状況だけを説明して。中でも、ハルが話す女の子は同年代でもあるから2人で自由に話をしてほしいと思っていました。撮影の前に会って話をする機会もあったので、そこで聞いた話を実際にしてもらいました。
ーーハルとは、家族の写真を見せたり、将来のことを話したりしていましたね。
モトーラ:あのシーンでは、旅の中でハルが初めて同世代のネスリハンちゃんと偶然会って2人で話していたら、本来のハルが出てきたように感じました。自分から写真を見せるのも初めてで、ハルには友達がいて、普通の女の子だったんだなと。ずっとネスリハンちゃんと話をしていて、私もハルとして喋っていたけど、時々自分になってしまったり……(笑)。話していて私も共感したり心がほぐれていく感覚もあって、本当の友達みたいでした。
諏訪:家族の写真を自分から見せて、「お母さんに似てるね」と言われたら、ハルが「母さんに似ているってよく言われる」って返す。そう言えたのは、この映画のハルにとってすごく大きなことだったと思います。
ーー監督が近年映画を撮っていたフランスは、「移民国家」と呼ばれるほど様々な出自を持った人が住んでいる国ですが、フランスで過ごして感じたことを映画に取り入れようという思いもあったのでしょうか?
諏訪:そうですね。自分の子供がまだ小さかった時に公園で遊ばせていると、母親ではなくベビーシッターであるアフリカ系の女性を多く見ました。「外国人に育てられているんだね」というふうに僕が言ったら、あるフランス人が「いや、あの人たちはフランス人だよ」と言うんです。つまり、フランスに住んでフランスの言葉を話してフランスの社会で暮らしている人はフランス人なんだって言い切るんですね。一方で日本では、どんなに長く日本に暮らしていたって、見かけが違うだけで、あの人は外国人だという意識になってしまう。ネスリハンちゃんも、子供の頃からずっと日本の学校に通っているんだから、日本の子供なんです。そういう問題はヨーロッパでは当たり前ですが、日本だとなかなか語られないことです。だからこそ、彼らが「ここにいる」ということを映画に入れたいと思いました。
ーー日本でコミュニティを築いて協力し合っているクルド人の方々と比較すると、三浦友和さん演じる公平とそのお母さん、西田敏行さん演じる今田親子は、どこか孤立している印象を持ってしまいました。
諏訪:今回、広島から大槌に移動するまでいろんなロケ地を回りました。彼らの家は実際にあるところを貸していただいたのですが、公平の家はお母さんと息子さんの2人暮らしで、息子さんは離れで暮らしているから、広い家でお母さんが一人暮らし。今田の家も、老夫婦暮らしで2人とも軽度の認知症を患っている。それでも、故郷にいたいという思いで、あの家に住み続けています。家族もコミュニティも傷ついてバラバラになっていて、そういうことは日本中にあるのだと思います。むしろクルド人は強いコミュニティを作って助け合いながらじゃないと生きていけないのかもしれません。