広瀬すずと松岡茉優は、女優としても対極の存在に 『ちはやふる』出演から3年で驚くべき飛躍

 その小泉徳宏監督も最優秀新進監督賞を受賞した第8回TAMA映画賞の受賞式で松岡茉優は「私は、小松(菜奈)さんや広瀬(すず)さんみたいに華のあるタイプではないですが、この中途半端な顔もお化粧をしたり、髪型を変えたりするだけで、けっこう変わるので、最近ではこの顔を気に入っています」という受賞コメントを残した。そのコメントを「松岡茉優、地味顔を自虐」という見出しで報道した記事もあったが、よく読めばわかるようにそれは単なる自虐のコメントなどではない。彼女一流の巧みなソフィスティケーションによって自虐や自嘲、謙遜のオブラートにくるまれてはいるが、それはいわゆる作品ごとに変化する「カメレオン女優」である松岡茉優からの、その場にいた小松菜奈とその場にいない広瀬すずら「スター型女優」に対する「私にはあなたたちにできない変化の演技が可能だ」という自信と自負に満ちた宣言だったわけだ。

 『ちはやふる』において、原作漫画でも映画の中でも、綾瀬千早と若宮詩暢はすべてが対極の存在として描かれる。右利きの千早と左利きの詩暢(そして偶然にも物語の中の2人と同じように、広瀬すずは右利きであり松岡茉優は左利きである)。部活動のチーム戦の中で成長する千早と、孤高の詩暢。それは漫画の中でライバル関係を造形する時の黄金律と言ってもいい。そして松岡茉優と広瀬すずもまた、理論派と直感派という対極のタイプとして語られる女優である。

 今年の春、伊集院光のラジオに『バースデー・ワンダーランド』の宣伝で出演した松岡茉優は、持ち前のトークスキルと頭の切れですっかり伊集院光に気に入られ、「俺も長くないから、深夜ラジオの枠を譲る」と指名された。その時に松岡茉優が返した答えは、(理論派の)伊集院の枠を継ぐのが自分なら、(本能派の)おぎやはぎの枠は広瀬すずが継ぐんだろう、といったものだった。それは自他共に認める理論派と直感派の違いであるわけだ。

『蜜蜂と遠雷』(c)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

 『ちはやふる -結び-』のパンフレットの出演者寄せ書きで、松岡茉優は「詩暢ちゃんとこれからも、生きていきます」と書いている。つい先日、主演映画『蜂蜜と遠雷』で日刊スポーツ映画大賞の主演女優賞に輝いた松岡茉優は、広瀬すずが発掘した新人俳優、鈴鹿央士の才能に驚きながらも、「私の中には詩暢ちゃんや(『問題のあるレストラン』で演じた)千佳ちゃんが教えてくれた気持ちが蓄積してあった」と語った。今やカンヌでレッドカーペットに立ち、若き実力派として映画賞の常連となった彼女には、主演作でもなかった『ちはやふる』はキャリアの中での通過点であってもおかしくない。でもきっと彼女の演技には、今も若宮詩暢が生きているのだろう。

『ちはやふる -結び-』(c)2018 映画「ちはやふる」製作委員会 (c)末次由紀/講談社

 広瀬すずのその後の躍進については書くまでもないだろう。李相日、三池崇史、坂本淳二という名監督、名脚本家たちと仕事を重ねながら、2019年には朝の連続テレビ小説『なつぞら』(NHK総合)の主演からそのまま野田秀樹主宰の舞台『Q:A Night At The Kabuki』65公演に突入するという離れ業を見せた。とりわけ初舞台が野田地図という、日本の演劇界の頂点の一つに数えられる舞台であることは驚きを持って迎えられた。よく言われることだが映像と舞台はまったく違う。ワンシーンごとに撮影し、失敗してもリテイクが効く映画やテレビの撮影に対して、舞台は一度幕が上がれば何があろうとそのまま終幕までストップはかけられない。役者はすべてのセリフと動きを丸ごと頭に叩き込んで初日を迎えなくてはならないし、生の舞台の上で立ち往生すればそれはそのまま観客の目に晒されてしまう。テレビや映画でトップの人気を持ち、演技力が高く評価される名優であっても、その出演作品に舞台演劇がほとんどないケースは多い。

 ましてや野田地図は、1000人級の劇場で公演を行うにも関わらず、マイクを使わない肉声のみで演じる劇団である。役者の声量が足りなければ、2階席の観客は物理的に台詞が聞き取れないという事態になる。しかも広瀬すずは、朝ドラの撮影のクランクアップからそのまま、準備期間を取る余裕なく舞台稽古に突入することになる。誰にもわかりやすい演技を求められる朝ドラと、時に難解で哲学的な言葉遊びを猛烈な早口で、しかもマイクなしで1000人に届ける野田秀樹の舞台は最も対極にあるスタイルだった。

 成功を危ぶむ声も多かったというか、無残に失敗するための条件がすべて揃っているような状況だったと思う。複数の大手週刊誌は実際に、「広瀬すず朝ドラ後の正念場」「初舞台は成功するか 問われる演技力」という見出しを打って記事を書いた。

 しかしそうした下馬評を覆し、広瀬すずはこの舞台を見事に成功させる。東京芸術劇場の初日から、広瀬すずの声はまるで矢を射るように2階席の僕の耳にまで飛んで来た。是枝映画の広瀬すず、ささやくように繊細な演技のイメージを持っていた観客たちからは、驚きと賞賛の声が終演後に上がった。

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