『いだてん』取材担当・渡辺直樹インタビュー
前人未到の大河ドラマ『いだてん』はいかにして作られたのか 取材担当者が明かす、完成までの過程
いよいよ最終局面に入った大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』(NHK総合)。オリンピックに関わった日本人の姿を描いた本作は、明治・大正・昭和という近代日本を舞台にした歴史群像劇だ。劇中には実在した人々が登場し、一見荒唐無稽に見えながらも、ほぼ史実どおりに展開していくのだが、その背後では、気が遠くなるような膨大な量の取材が行われていた。
今回、リアルサウンド映画部では『いだてん』の「取材」を担当した渡辺直樹に、関係者遺族への許可取りも含めた取材現場の内幕について話を訊いた。渡辺が担った「取材」とは、宮藤官九郎の脚本作り、その前段階の企画制作のための膨大な資料集め、および史実関係の事実確認など。前人未到の挑戦となったオリンピック大河はいかにして作られたのか?(成馬零一)
誰を主人公にするかも決まっていなかった
―― 渡辺さんが『いだてん』でもチーフ演出を務める井上剛さんの作品に参加したのは『あまちゃん』(NHK総合)からですか?
渡辺直樹(以下、渡辺):井上さんがNHK大阪局に在籍していた2009年に、森山未來さんが主演を務めたドキュメンタリー×ドラマ『未来は今 10 years old,14 years after』に参加しました。それが最初の井上さんとの仕事ですね。
――元々、河瀬直美さんの映画スタッフだったそうで。
渡辺:当時は河瀬組に携わって奈良で暮らしていて、同じ関西が本拠地だということもあって、プロデューサーを介して井上さんから助監督をやってほしいと頼まれました。でも、その時は短い作品だったので、そんなに長く付き合ったわけではなかったです。
その後、2011年になり、東日本大震災が起きた影響で僕が関わっていた作品が中止になったり延期になったりして仕事がぽっかりと空きました。それで今までの作品で縁があった場所などの状況が気になるし、震災の10日後くらいから東北に入り、ボランティアをしながら被災地を回っていたんです。そうしたら、東京に戻ったら、僕が被災地を回っていたことを知ってだと思うのですが、井上さんから突然連絡が来て「福島で短編を撮ろうと思うんだけど、一緒にやらない?」と誘われました。
当時、3分11秒の短編映画を作るという企画(311仙台短篇映画祭制作プロジェクト『明日』)がありまして、『いだてん』の音楽も担当されている福島出身のミュージシャン・大友良英さんが震災直後から福島で活動されていたので、この2011年の夏に、井上さんと少人数のスタッフで大友さんを主人公にした短編映画を作りました。ところがその制作が一段落した時に、今度は「実は、今の東北で朝ドラを作ろうと思っていて、脚本は宮藤官九郎さんなんだ。だけどドラマの中身は全く決まってない。だから、一緒に何をやるか探さない?」と。
―― すごい誘い文句ですね。
渡辺:『いだてん』も近い感じはあります。企画がまだ正式な形になる前、2015年の1月に声をかけてもらいました。最初はチーフ演出の井上さん、プロデューサーの訓覇圭さん、脚本の宮藤さんという『あまちゃん』のチームで大河ドラマを、という話でしたが、誰を主人公にするかはもちろん、どの時代を描くのかも決まっていませんでした。
宮藤官九郎という“変換装置”を生かすために
――当初は落語の話だったそうですね。
渡辺:「落語とオリンピック」で何かできないかというのが発端でした。ただ、絶対にオリンピックをやるとは決まっていませんでした。あとは大河ドラマで近現代を描きたいということ。「古今亭志ん生(ビートたけし/森山未來)、近現代、スポーツ」という三題噺のようなものでしたね。ですので、まずは明治時代からの概略や、「その時代の人たちは何に興味を持っていたのか?」「日本のスポーツの始まりとは?」などということを調べることから始まりました。
――『いだてん』の主人公となる 金栗四三(中村勘九郎)さんに辿りついたのは、いつ頃ですか?
渡辺:金栗さんにたどり着いたのは早かったと思います。明治の末年、明治天皇が崩御される数日前にストックホルム五輪が開催された。調べてみると、金栗四三と三島弥彦(生田斗真)の2名が参加している。箱根駅伝の最優秀選手に「金栗四三杯」が贈呈されるので、金栗さんという人が箱根駅伝の創設者だということは知っていました。でも、その金栗さんが日本人最初のオリンピック出場選手だということは、この時初めて知りました。そこでこの2人をきっかけに何か作れるのではないかというイメージができてきました。
――宮藤さんはどんな形で脚本作りを?
渡辺:井上さんや訓覇プロデューサーと最初は1カ月に一度ぐらいの頻度で、見つけた資料を報告し合う会を重ねていきました。僕たちが集めた情報やアイデアを、宮藤さん自身が本を読んで調べながら、想像もつかない面白いものに変換するという流れですね。
――史実に忠実だからこそ、制約の多い仕事だったと思うのですが、出来上がったものは、とても自由なのが不思議です。
渡辺:脚本の仕上がりに一番驚いているのは僕たちかもしれないですね。宮藤さんは調べたことをそのまま書くのではなく、必ず“フックとジャンプ”を入れてくる。こう書くとは思わなかったという衝撃の連続でした。
――テーマ的な部分についても宮藤さんとは話し合いを?
渡辺:宮藤さんの作品の特性であると同時に本人の資質だと思うのですが、あんまり真面目に思い詰めたような話はしなかったですね。馬鹿話の合間にふっと大事な話が入ってくるという感じです。だからいつも笑いがあふれる中で打ち合わせが進んでいきました。
清水拓哉(同席した番組制作統括。以下、清水):宮藤さんと各話の監督陣と取材を担当した(渡辺)直樹さんと橋本万葉ディレクターとプロデューサー陣が集まり、この回は事実としてどういうことがあるのか、それを確認しながら、その中で何ができるか話し合っていきました。
―― ピクサーのアニメ映画が、複数のスタッフが意見を出し合うブレスト(ブレーンストーミング)でシナリオを練り上げていくと聞きますが、『いだてん』の場合は最終的な判断は宮藤さんがするということでしょうか。
渡辺:そこが多人数の作家たちが集まって執筆する体勢と違うところですね。僕たちは「宮藤官九郎という変換装置」を最大の武器だと思っているので。最終的には宮藤さんに預けられる状態にするための打ち合わせです。
清水:「あの話、どうだっけ」という時に、みんなが直樹さんの顔を見るわけですよ。一番網羅的に調べている人間データベースみたいな人なので、その時代にこういうことがあったという事実関係や歴史的な出来事を改めて整理してもらいます。これは時代考証の先生がその場にいたらできるかと言ったら、そういうことでもないんです。直樹さんは映像での長いキャリアがあるので、ドラマ化するに当たって面白いかどうか、実現可能かどうかを判断することや、ストーリーとして掘っていく必要があるかという判断ができる。そういった目線がない人にはできなかった仕事だと思います。