『シン・ウルトラマン』はどんな内容に? 庵野秀明×樋口真嗣のこれまでの作品から考える

 そう、アニメーション作品にも特撮作品のテイストはそのまま生きている。庵野が監督を務めた『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』を見ても理解できるように、巨大戦艦や巨大生物などを、リアリティある街の風景とともに効果的に配置していくジオラマを下敷きとしたような手法は、監督のなかでアニメと実写の間における境界が曖昧であり、双方に相乗的な魅力をくわえているといっていいだろう。

 『エヴァ』シリーズが特撮風であることに面白さがあるように、『シン・ゴジラ』にもまたアニメーション風の演出が行われていた。あのゴジラが吐き出す、特徴的で斬新な熱線の表現にしても、庵野がスタッフとして加わった『風の谷のナウシカ』(1984年)における巨神兵が、「なぎ払え!」の声とともに放っていた“プロトンビーム”の演出を応用していたと思われる。

 巨神兵といえば、東京都現代美術館の展示のために制作され、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』でも同時上映された短編『巨神兵東京に現わる』(2012年)を思い出さないわけにはいかない。この作品も『シン・ウルトラマン』と同じく、脚本に庵野、監督に樋口という組み合わせだった。ここでも、やはりプロトンビームが放出されるシーンがあるが、それが『シン・ゴジラ』の熱線表現の前哨戦となっていたことは、両者を比較すれば明らかである。

 面白いのは、アニメーションの巨神兵をただ実写で表現しただけではなく、新たな解釈をくわえている部分だった。『風の谷のナウシカ』では、巨神兵を急いで稼働させたことで、身体がドロドロと溶け出し、その人工的な骨格が露わになることで、巨神兵という存在は、何者かによって造られた兵器であることが暗示されていたが、『巨神兵東京に現わる』では、完全なかたちを保った巨神兵の口内に機械的なシステムが組み込まれていることを強調することで、その正体をさらに明確なものとした解釈がくわえられていた。

 そんな巨神兵の兵器としての真の姿が強調された演出や、ゴジラの熱線の表現を見る限り、『シン・ウルトラマン』にて同様のことが行われることは確実であろう。例えば、ウルトラマンの必殺技“スペシウム光線”の新解釈である。

 スペシウム光線は、地球にはない物質である“スペシウム”の力を利用し、片手ずつプラスとマイナスのエネルギーを集め、両腕をクロスしてスパークさせることで、ターゲットに強大なダメージを与える攻撃方法だ。これまでの庵野×樋口の特撮作品で行われていたように、ここではおそらく原点に立ち返り、「スペシウム光線とは何なのか」という疑問に新しい定義を与え、新鮮な描写が行われるものと思われる。

 そして、それよりもさらに重要な部分だと思われるのは、“ウルトラマン”という存在そのものの再定義であろう。『シン・ゴジラ』では、“シン”という言葉から、観客に複数の意味を考えさせた。進化の“進”や、“新”、“真”、“神”、そして地震の“震”や、英語で「罪」を意味する“Sin”などである。ここでのゴジラは、戦後の日本が本当の意味で変わることができたのかを問うために現れた、神のような存在であり、かつ過去の罪の象徴であるようにも見えるのだ。そしてゴジラがもたらす被害は、東日本大震災のイメージだといえよう。

 もともと第1作『ゴジラ』(1954年)にも常々、太平洋戦争とのつながりを指摘する声は多く、その本質は戦死者の霊であるという解釈がなされていたが、それはあくまで作品単体のなかでは公式に示されることはなかった。そのなかで、金子修介監督によるシリーズ作品『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)では、太平洋戦争での戦死者の魂だということを劇中でハッキリと明言させることで、この一種の“俗説”を新しいゴジラに採用したことになる。重要なのは、『ゴジラ』にそのような思想があるということがもともとあったにせよ、後付けの解釈だったにせよ、それに実体をともなわせることが後からできるということである。

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