吉沢亮、『なつぞら』天陽として視聴者の心を鷲掴みに 遺された絵に刻まれていたもの

『なつぞら』天陽が遺した絵に刻まれていたもの

「誰にでも1つ大切な麦わら帽子があります。生きるということはその麦わら帽子を失うことかもしれません。失った帽子は2度と帰ってこないのです」

 映画『人間の証明』(佐藤純彌監督)の中の台詞である。『なつぞら』(NHK総合)134話の冒頭たった数分間で描かれた、衝撃的かつ美しい、吉沢亮演じる天陽の死の場面には、彼の人生が凝縮されていた。生涯を通して描き続けた馬の絵を遺作として完成させ、幼少期から愛し続けた土地に触れ、向き合い、彼が生涯大切にし続けた「自然に従う」という言葉そのままに、自らの身体を大地に投げ出したのだから。

 そして、あの空を舞う麦わら帽子と緑の光景に、あまりにも有名な『人間の証明』のあのシークェンスを重ねることが許されるなら、第23週は、失われた麦わら帽子を前に、遺された人々がどう前を向き、その思いを受け継ぎ、心の中に山田天陽を宿すかを描く週なのだろう。そしてそれは、出番が決して多いとは言えない登場人物であるにも関わらず、強烈に視聴者の心を捉えて離さなかった山田天陽という一人の人間が生きた証でもあった。

 価値云々より、描きたいから描くことを大切にしながらも、愛する土地や牛・馬、なにより家族を守るための多少の状況の変化は「自然」として受け入れ、ひたすら真っ直ぐに絵と向き合い続けた彼の人生。それは、かつて演劇部顧問の倉田(柄本佑)が言っていた「自分の生活と向き合うことができる演劇は農民こそ大事」という言葉を「絵を描く」ことで実践し全うした人生だったと言える。

 天陽は、なつ(広瀬すず)のアニメーターへの夢を後押しするために、自分の恋心を引っ込めてしまうほど優しく、いつも穏やかな一方で、彼の絵は時に暗く、荒々しく、時に失われた世界を慈しむためにあった。幼少期、初めて天陽(荒井雄斗)の家に遊びにいったなつ(栗野咲莉)が見たのは、親に買い与えられた絵の具で描いたカラフルな兄・陽平(市村涼風)の絵の隣で、他の絵の具より安く、兄が使わない色だからという理由で黒のみを使って描いた、天陽の馬の絵だった。

 その後東京の大学に進んだ兄と、この土地で生きるという幼い頃の誓いを守り、土を耕しながら絵を描き続ける弟。栄えていく柴田家とは対照的にどこまでも貧しいままの山田家との貧富の差含め、彼の人生は、人に愛され恵まれた人生を送るなつと違い、決して順風満帆だったとは言えない。ドラマの中では明確には描かれていないが、一つの土地から離れることのできない彼の鬱屈や葛藤は、最初の絵をはじめ「魂の叫び」と言われたなつたちの演劇の背景画、涙ながらに赤い色で塗り潰した、なつを描いた絵などに込められていたのではないか。

 一方、彼の死を彩ることになった、カレンダーの風景画、自画像、遺作である馬の絵は、失われた世界を慈しむ絵だった。それぞれ、風景画はなつとの幼い頃の思い出を蘇らせる絵、自画像は奇しくも自分自身を死後蘇らせる絵、そして馬の絵は死んでしまった馬を蘇らせることによって、かつてなつと天陽が出会った時の出来事を、なつの心に蘇らせたのである。

 135話における、馬の絵を見た優(増田光桜)が「本物のお馬さん」とはしゃぎ、「絵を動かすのはママのお仕事でしょ」と語りかける場面は、5話の幼少期のなつと天陽の出会いの場面を思い起こさせる。天陽は学校の教室で、「絵では生きているように描かないと思い出したことにはならないだろ」と死んでしまった馬の絵を描いていた。その後、風が天陽のノートの頁をめくったのを見て閃いたなつが、パラパラ漫画のようにノートの頁をめくっていくと、それがまるで暴れている馬のように見える。そこで彼女は初めて絵を動かすことのトキメキを知ったのである。

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