「Your Song」誕生シーンが頂点に 『ロケットマン』に見る、エルトン・ジョンの性質と美徳

『ロケットマン』E・ジョンの性質と美徳

 愛情を与えられるべき家族から、十分にそれを得られなかったという、少年期の絶望。このエピソードを、その後の報われない恋愛の描写へとつなげることで、エルトン・ジョンを、いつでも愛情を求め続ける哀しみを持った人物として強調することが、本作のねらいであろう。この一種の精神分析的な単純化が作品のトーンを作り、またそれを表現すること自体が、「なぜ、エルトンは多くの人に愛される楽曲をたくさん作ることができたのか」という、大勢の観客が共通して持っているだろう“問い”への、映画ならではの抽象的な答えとして機能させることができるからである。

 エルトン・ジョンはあくまで、多くのミュージシャンには達成し得なかった大ヒットをものにし、長年にわたって記録を作りセールスを伸ばした、超人的な人物である。その伝記を作るのならば、やはり“なぜそんなことが可能だったのか”という疑問が解消された方が良いはずだ。その答えとして、“自身が生涯にわたり愛を求め続けていたから”というのは、そこに一定の真実が含まれているとはいえ、少々キレイ過ぎるし、不十分ではないかと思えるところもある。

 ここで描かれている、エルトンが苦悩していた家族との軋轢や失恋、孤独な境遇というのは、程度の差こそあれ多くの人々が通ってきているような体験なのだ。天才を描こうとした多くの伝記映画同様、本作は人生のなかの“映画らしい”ドラマティックなエピソードを多く抽出してしまっている。そのようなアプローチでは、エルトンの創造的な特殊性は理解しづらい。「スーパースターだとて、いろいろなことに悩む一人の人間」という、天才を一般的なレベルに降ろすような、わりと凡庸な内容になってしまう。

 その一方で、現在までの仕事上でのパートナーであり、盟友でもあり、また片思いの相手でもあったバーニーとの親密な関係や、作詞・作曲のコンビ結成から離散、再結成までの流れを主軸とした描写については、いずれも特別な美しさがある。ここまで仲良しな仕事上の相棒というのは、なかなかないのではないだろうか。

 エルトンがエスカレートさせていく派手な衣装やパフォーマンスという“不自然さ”の対極にあるのが、二人とも本当に作詞と作曲が好きだという、根っこの純粋さがあるという部分である。そのような、ある種の地味な性質があったからこそ安定してコンビが続けられたし、長年精力的に仕事を続けることができたというのが、本作を観ることで理解できるのだ。それは、日本でいえば自伝漫画『まんが道』に描かれた漫画家コンビ、藤子不二雄の関係をも彷彿とさせる、創造への素朴な愛情と、互いへの信頼と尊敬を感じ、こころを揺さぶられる部分である。

 それが頂点に達するのが、名曲「Your Song(僕の歌は君の歌)」誕生のシーンであろう。苦しい時期に一緒に暮らしていた二人。バーニーがエルトンに渡したのは、「まだ十分じゃないと分かってるけど、これは僕にできる精一杯。僕の贈り物は“僕の歌”、そしてこれは“君の歌”なんだ」という、謙虚な態度の歌詞だ。誰もが聴いたことがあるだろうこの歌は、男女のラブソングではなく、バーニーのエルトンへの誠実な心が込められた歌詞の贈り物だったのだ。そして、それは長く続く作詞・作曲コンビの、互いを尊重し合う関係を暗示してもいる。

 バーニーが朝食を食べている間に、曲をつけ弾き語るエルトンは、その歌詞に素晴らしく甘く美しいメロディを与える。それは、人生に何度とない奇跡の瞬間であり、本作で最も感銘を受ける場面である。だが、その一方で、なぜバーニーがこれほど豊かな表現力があったのか、その能力をかたち作った文学などからの影響については、あまり描写されていない。

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