作家・松井玲奈が紡ぎ出す色鮮やかな世界 美しくグロテスクな『カモフラージュ』を読む

 本を読むという行為は、映画やドラマで俳優を見つめるのと違う。著者の、あるいは登場人物の脳内に侵入し、彼らの身体の内部から物語の情景を見つめているような気分になる。だから、モザイクがかかった女の子が表紙の『カモフラージュ』(集英社)という本を初めて開く時、朝ドラ『まんぷく』(NHK総合)のヒロインの友人・敏ちゃん、『ブラックスキャンダル』(読売テレビ・日本テレビ系)の包帯女、『ニーチェ先生』(読売テレビ・日本テレビ系)のストーカーチックな常連客、そしてかつて本屋で思わず見とれた写真集「きんぎょ」(光文社)の金魚鉢に入ったアイドルの女の子と、常に誰かを演じている松井玲奈という女優の頭の中に少しばかり入り込むことができることに妙な興奮を覚えた。

松井玲奈『カモフラージュ』

 複数のインタビューで松井自身が言及しているように、決して彼女自身の経験を切り貼りした私小説的な物語は一つもない。OL、少年、メイド喫茶店員、夫婦、ユーチューバーと、性別を問わない様々な年齢層の登場人物たちの「食」にまつわる色鮮やかな世界が詰まった6篇の物語は、そんな読者の下世話な期待を軽やかに裏切り、日々を丁寧に過ごしている人にしか書けないだろう、ありふれた日常の温かく繊細な描写を皮切りに、時にグロテスクで、時にエロティックだったりする、予想もつかない未知の世界に連れて行ってくれる。そして、彼女の意図とは違うかもしれないが、そこに「カモフラージュ」するかのように物語の端々に散らばった彼女自身の欠片を、やはり探さずにはいられない。

 何といっても度肝を抜かれるのは、最初の物語『ハンドメイド』から、次の物語『ジャム』への飛躍の凄さだ。

 『ハンドメイド』の主人公は、映像化するなら松井玲奈本人が演じることができるだろう彼女と同世代の女性だ。当然、これが単なる「芸能人が書いた小説」だと思って読み始めた読者は、まんまと騙される。そこに松井玲奈自身の姿を重ねて読むことになる。

 好きな男性と夜一緒に食べるために、オムライスを朝一生懸命弁当箱に詰めて、ホテルに持っていく女。外食でも、自分の家に招くのでもなく、ホテルの一室に持っていかなければならない何かしらの事情は、想像するに難くない。自分が写った写真が残るのを嫌がる男のその場限りの優しさに、つかの間ズブズブと嵌ってしまった彼女が、家に帰ってこっそりケチャップの色が付着した弁当箱を洗う時の、簡単に水に流れて消えてなくなってしまうオレンジ色の寂しさなんて、著者はどうしてわかってしまうのか。その描写は、彼女が手に持つスポンジに染み付いたオレンジ色まで想像してしまうほど、リアルで切ない。頁をめくればめくるほど、「松井玲奈」という女性の優れた洞察力と、繊細な頭の中が透けて見えるようで、ドキドキする。ヒロインの頭の中でなり続ける色とりどりのビー玉の音が、こちらの頭の中でグルグルと弧を描き、ふいにカメラが、彼女の困惑した表情を映した時、ビー玉はポーンと弾けて、次の物語の、真っ赤なイチゴジャムの入ったジャム瓶がゴロリと転がってくる。

 『ジャム』。「今松井玲奈の本を読んでいる」と言うと、「ああ最近多いよね、芸能人が書いた小説って」と醒めた視線で返してきた何人かの知人に、思わず力説せずにはいられなかった。この『ジャム』という小説の常軌を逸した凄まじさを。松井玲奈の頭の中は一体どうなっているのだと叫び出したくなる一作を。前のページまで感じていた、同世代・同性の共感めいたものを一蹴し、とんでもなくグロテスクな世界が幕を開ける。なぜならこの物語はこんな一文で始まるのである。

「僕のお父さんは一人じゃない。夜、仕事から帰ってくるお父さんの後ろには、真っ白な顔で洋服を着ていないお父さんが三人並んでいる。」

 少年の感じる、バターといちごジャムをトーストの上にたっぷりのせてかぶりつく幸せは、読者のお腹の中まで温かくする。だが、突然鬱屈した感情が沸きだした少年が、スプーンでぐちゃぐちゃと果肉を潰し始めた時、そのジャムは瞬く間に血のイメージへと変化する。そして衝撃的な血の惨劇が、天使の形をして降りかかるのである。

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