『中学聖日記』ラストシーンに込められた“人生の奇跡” 有村架純と岡田健史の再会が意味するもの

あのバンコクは、聖がやっと自分で選んだ自分の人生だった

 その分、心情が読み取りにくい面もあったのだと思う。見る人によっては、聖は最初から最後まで成長していないようにも映ったかもしれない。

 もともと聖は自制心が強く、早くから黒岩への恋心に気づきつつ、そっと胸に秘め、教師として一定の距離を保とうとした。が、そんなに容易く気持ちをコントロールできるなら、誰も困らない。無性に惹かれる心に抗えるはずもなく、時にちぐはぐに見える行動にも出た。

 それは、一旦の破局を迎えた第2章以降も変わらず、聖は黒岩が目の前に出現するたびに心を乱され、冷静とは言えない行動をとることも多かった。3年経っても何も変わっていないのは、聖も黒岩も同じ。引き寄せられては必死に振り払う。この全11話はその繰り返しだった。

 では、この11話を経て、聖は何が変わったのか。それは、自分の人生を自分で選べるようになったことだと思う。

 当初の聖は、遠距離恋愛になった勝太郎から別れを切り出されることに怯え、プロポーズ後も話し合いもなく「近いうちに大阪に来てもらおうかと」と言ってはばからない勝太郎にその場でNOと意志を見せられない女性だった。

 黒岩に惹かれたのも、聖がひとりで立てない女性で、その不安や自信のなさを、黒岩が肯定してくれたから。必要としてくれることが、聖の中にあるどうしようもない空洞を埋めてくれた。

 第2章以降も好意を寄せてくれる同僚の野上一樹(渡辺大)に曖昧な態度をとり、黒岩への想いを断ち切るために付き合おうとする。流されるままの女性であることは、3年経っても何も変わっていなかった。

 それが、聖は最後に自分の意志でバンコクへ飛び立ち、日本語教師の仕事を始めた。見知らぬ土地で教職に就くというところだけを見れば、3年前に黒岩から離れ、丹羽千鶴(友近)の紹介で小学校教師として働き始めたときと何も変わっていないように見えるかもしれない。

 でもはっきりと違うのは、3年前の聖は、すべてから逃げるために、誰も自分のことを知らない場所を求めただけ。でも、今度は逃げじゃない。「ゼロからやり直す」ために新天地へ旅立った。消極的選択ではなく、はっきりとした意志を持って、自分の人生を選び取った。

 だから、極端な話をすれば、仮に黒岩がバンコクを訪れなくても、十分聖は幸せだった。だって、聖には私はこうやって生きていくんだという確固たる意志があったから。それでも、そんな聖の前に黒岩がもう一度現れたのは、自分の人生を真摯に生きていれば、きっといつか手放した未来も訪れる。そんな奇跡を、制作者たちが聖にプレゼントしたかったからじゃないかなと思う。

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