男の子のプリキュア誕生はなぜ大ニュースなのか シリーズ15年かけて伝えるメッセージを紐解く

キュアアンフィニへと変身した若宮アンリ

 若宮アンリ君は天才スケート選手です。「自分に似合うから」という理由で女性用ドレスを着たりしていますが、トランスジェンダー等ではなく、氷上の王子を自称するように性自認は「男性」のようです。「女の子らしさ」「男の子らしさ」といった価値観を押し付けようとする家父長制的な旧来的ジェンダー観を良く思っていないことが描写されています。

 そんなアンリ君。大きなスケートの大会を前に足を怪我してしまいます。最後にもう1度だけ大きな舞台で滑りたいと願うものの、大会に行く途中交通事故に遭い、足が動かなくなってしまうのです。

 そこを敵組織につけこまれ、自分の可能性をあきらめかけてしまいますが、HUGっと!プリキュア5人の応援により復活、その力を得てプリキュアへと変身しました。自らを「キュアアンフィニ」と名乗り、もう1度、彼の夢であった大舞台でのスケートを披露したのです。

 初の男の子プリキュア「キュアアンフィニ」は、そんな経緯で誕生した「夢を叶えるために1度だけ変身した」男の子プリキュアなのです。

 だからもう2度と変身することはないでしょうし、この先、アンリ君が変身してHUGっと!プリキュアの5人と一緒に戦うなんてこともないと思われます。

男の子プリキュアを通して伝えたかったこと

 彼は「奇跡」によりキュアアンフィニへと変身し、彼の夢であった「もう1度自分のスケートでみんなを笑顔にする」ことを叶えました。

 しかし、プリキュアになって夢を叶えた後でも「足のケガ」は治らなかったのです。この先、今までのようにスケートを続けていくのは難しいことが描写されています。

 そんな時でも、アンリ君は前向きにこんなことを言います。

 「たとえ若宮アンリの体でも、若宮アンリの心をしばることはできないんだ」

 このセリフこそが、初の男の子プリキュア「キュアアンフィニ」を通して、プリキュアというアニメーションが子どもたちに伝えたかったことだったのだと僕は思っています。

 肉体は、精神を定義づけるものではない。

 どんなに体にハンディキャップがあっても、心は縛れない。

 物理的な性別の壁も、あなたの心を縛ることはできない。

 「なんでもできる、なんでもなれる」に肉体的な制約は存在しない。

 いつだって子どもたちの心は自由だし、その自由な心を持ってさえすれば、男の子だろうが誰だろうが関係なく、みんなプリキュアになることができる。

 「男の子がプリキュアになる」というセンセーショナルな出来事には、若宮アンリ君の、そしてそれを通した製作者の「子どもたちは、なんでもできる、なんでもなれる」という思いが込められているのだと僕は思っています。

 そういう意味でもやっぱり「初の男の子プリキュア、キュアアンフィニ」は画期的な存在であるといえるのですよね。

 だからぜひ。

 「初の男の子プリキュア」というインパクトだけに囚われずに、ぜひあなたの身近にいる子どもたちに「あなたの未来は無限大」ということを伝えてあげてほしいのです。

 あなたの応援で、どんな子どもだって(いや、大人だって)プリキュアになることができるのですから。

 つまり要約すると「みんな、今からでも遅くないのでプリキュアを見て! 日曜日、朝8時30分だよ!」ということになりますよね(←これが言いたかった)。

■kasumi
「プリキュアの数字ブログ」管理人。愛知県在住の会社員。2児の父。WEBメディアねとらぼでのプリキュア記事連載を始め、様々なWEB媒体でプリキュアに関する記事を執筆中。

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