【ネタバレ】『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』はなぜいびつな作品になったか
ここにきて、ジョニー・デップとジュード・ロウという美形俳優がキャスティングされた意味が理解できる。本シリーズが最も熱を持って掘り下げる物語とは、じつはこの二人が心に秘めながら、しかし決して叶えられることはないだろう、哀しい愛の行方だったのだ。
本作はこのような描写から、もはやロマンス映画と化していて、柱となっていた幻の動物やニュートの活躍を、ほとんど脇へと追いやってしまっているようにすら感じられる。それでいて作品本来の主旨をまっとうするために、主人公や動物を活躍させなければならないというジレンマが発生しているため、本作は『ハリー・ポッター』シリーズをも含めたローリング作品のなかで、統一しきれない多くの要素をバラバラに表現しなければならない、最もいびつな作品となってしまっているように思える。『ハリー・ポッター』にも、あるキャラクターの哀しいロマンスが描かれていたのは確かだが、あくまでそれは主人公が解き明かすミステリーの文脈に収まる、一般的な娯楽表現のなかにとどまっていたはずである。
政治的メッセージや耽美的なロマンスへの傾倒など、要請される期待をはみ出してまで、そこにはJ・K・ローリングが書きたい要素が、これまでになくそのまま叩きつけられている。グリンデルバルドが、はからずもダンブルドアへの歪んだ愛をさらけ出してしまったように、ローリングの凶暴なまでにエゴイスティックな欲望もまた、観客の前に露わになってしまっているように感じられる。だが、それこそが「作家性」だと言うこともできるのではないだろうか。
その意味において本作は、J・K・ローリングが脚本家という立場で、いままでになく「作家」となった作品であるといえるだろう。『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』は、彼女にとっても新たな表現方法を確立する「誕生」の作品だったのかもしれない。願わくば、このブレーキ無視のスタイルを貫いてもらいたい。ローリングの作家的な深化が、一体どこへつながっていくのか……『ファンタスティック・ビースト』という目的地の見えなくなってきた旅に、このまま観客として同行できるなら、こんなにエキサイティングなことはない。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト
■公開情報
『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』
全国公開中
監督:デヴィッド・イェーツ
脚本:J・K・ローリング
プロデューサー:デヴィッド・ハイマン
出演:エディ・レッドメイン、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、エズラ・ミラー、キャサリン・ウォーターストン、ダン・フォグラー、アリソン・スドルほか
配給:ワーナー・ブラザース映画
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