【ネタバレ】『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』はなぜいびつな作品になったか
この出来事は、彼女が本作の脚本を完成させた時期と、ちょうど重なっている。第1作に比べ、急激にダークな雰囲気が加わったのは、少なくともこの決定に至るまでのイギリスの緊迫した空気と、排外的な価値観の蔓延に対する彼女の気持ちの反映であるように感じられる。
本作のクライマックスで、闇の魔法使いグリンデルバルド(ジョニー・デップ)が集会で演説をするシーンが圧巻だ。彼は魔法使いの優位性や、人間の愚かしさと危険性を説くことで、魔法使いたちのなかにある人間への偏見や憎悪(ヘイト)を煽ろうとする。そして共鳴した者たちは、この思想を広めるべく、それぞれ各地へと飛び立っていく。おそらく次作以降、世界に差別思想が広がりを見せ、魔法界全体が穏健派とグリンデルバルド派に分かれるだろう。グリンデルバルドが生み出した青い炎と、対抗するニュートたちが生み出した赤い炎のぶつかり合いが示すのは、政治的な思想が二分したイメージに他ならない。
興味深いのは、グリンデルバルドの主張に説得力があることだ。彼は予知された第二次世界大戦の悪夢的景色を聴衆に見せつける。そこには、近代兵器が街を破壊する姿や、ナチスドイツによるユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)、日本に落とされた原子爆弾の爆炎が映し出されていた。そして、このような残虐非道な行為を平気でできる人間には、断固たる手段を講じるべきだという論理で聴衆の思考を誘導していく。
しかし、そこにはトリックが隠されている。たしかに戦争における虐殺は、人類による大きな罪だといえるが、そんな非道ができたのは、そもそも他の民族を蔑視する思想が背景にあったからではないのか。それを利用して差別を行いながら「戦争を起こさないための戦い」を煽ろうとする。平和的に人間たちに戦争を回避させ、魔法界にも被害が及ばないようにするような手段は、ここではわざと除外されているのだ。一定の事実を混ぜながら、問題を乗り切る方法は一つの道だけだと思わせることで、グリンデルバルドは周到に計算しながら人々を自分の野望へと導いていく。
次々にグリンデルバルドのもとへと去っていく魔法使いたち。前作で人間の優しい心に恋をした魔法使いまでが、孤独感から差別的な思想に共鳴していく場面は、あまりにも悲痛だ。ここにJ・K・ローリング自身の、現在の社会に対する実感が込められている。また同時に、本作はグリンデルバルドの内面を描き、同じような葛藤の構図が彼にも存在するということを明らかにしていく。
今回の目玉の一つとなっているのが、久しぶりに『ハリー・ポッター』シリーズの舞台だったホグワーツ魔法魔術学校が登場するところだ。ジュード・ロウが若い頃のアルバス・ダンブルドア(『ハリー・ポッター』のホグワーツ校長)を演じ、そこで教え子のニュートを指導する回想や、闇の魔法使いグリンデルバルド(ジョニー・デップ)との戦いについて相談に乗る場面がある。そんなダンブルドアは、かつてグリンデルバルドと兄弟以上の固い結びつきを持っていた。
ダンブルドアとグリンデルバルド、彼らは進む道が分かれ関係が決裂してなお、互いを愛し続けていたことが、あるアイテムの出現によって象徴的に表現される。さらに、あるキャラクターの素性が明らかにされるシーンでは、それによってグリンデルバルドのダンブルドアへの執着心が観客に露見してしまうのだ。これはもう愛の告白と言って差し支えないだろう。