『ザ・プレデター』なぜ評価が分かれる内容に? 『プレデター』シリーズの“核”となる部分から考察
ジャンル映画、なかでもホラーやスリラー、SF、アクションなどの作品に求められがちなのは、“目新しさ”であろう。それらのジャンルが総合された『プレデター』(1987年)こそ、まさに新しい試みによって人気を集めた映画の代表的存在だといえる。
観客を惹きつけた最大の理由は、なんといっても“人間狩り”をするハイテク宇宙人「プレデター」の特殊能力を、当時の最新技術で表現した映像にある。自分の姿を透明に見せることができる「光学迷彩」、熱を視覚で確認できる「サーモグラフィー」、肩に装備した殺傷力抜群の「プラズマ・キャノン」の火力など演出のかっこ良さは、観客のド肝を抜いた。
それから30年の間に、これらのような演出は様々な映画にとり入れられ、『プレデター』のシリーズも数作制作されることで、何一つ珍しいものではなくなってしまった。「最先端」という意味での役割は、とうの昔に果たし終えというべきだろう。
だが、ヒット作の続編企画は定期的に持ち上がってしまう。最新作となる本作『ザ・プレデター』は、出汁(ダシ)を取り尽くすだけ取り尽くした「プレデター」という題材を使って、現在の映画作品として、どんな意義を作り出そうとしたのだろうか。ここでは、そんな難しい状況に立たされていた『ザ・プレデター』のアプローチについて、そして、その内容が賛否両論を巻き起こした理由についても考察していきたい。
『プレデター』第1作は、様々な意味で“超え難い”伝説的な映画だ。若き日のアーノルド・シュワルツェネッガーが、代表作の一つ『コマンドー』(1985年)そのままに演じた、特殊部隊の指揮官という役柄で、ボディー・ビル大会でもないのにオイルを塗ってるんじゃないかと思うくらい、ギラギラと男性フェロモンを撒き散らしながらパワフルなアクションを繰り広げ、密林地帯のなかで未知の敵「プレデター」に対し、人類代表として渡り合った。この人知れず行われるアツい頂上決戦が、1年後に『ダイ・ハード』を生み出すジョン・マクティアナン監督の、爆発シーンが連続する派手でハードな演出によって支えられる。
異星人「プレデター」の造形は、『遊星からの物体X』(1982年)、『ターミネーター』(1984年) などで話題を集めていた、特殊メイク・アーティストのスタン・ウィンストンのデザインに、ジェームズ・キャメロン監督のアイディアが加わったことで、謎めいた戦闘狂の兵士に爬虫類や虫のようなイメージが複合されたような、誰も見たことがないものとなった。このように、後にアメリカの娯楽映画を支える若い才能が集結するという僥倖に恵まれたことで、『プレデター』はSFスリラー・アクション映画のなかでも特別な存在となったのだ。