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“共時性”を持ち“個人的な”作品を生む是枝裕和と坂元裕二 『万引き家族』『anone』の共通点を探る

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 「盗んだのは、絆でした。」……映画『万引き家族』のポスターには、そんなキャッチコピーがつけられている。しかし、実際に映画を観たあと、ふと思い出したのは、「私を守ってくれたのは、ニセモノだけだった。」という、あるドラマのキャッチコピーだった。そう、今年の1月期に放送された、広瀬すず主演、坂元裕二脚本のドラマ『anone』(日本テレビ系)のキャッチコピーだ。

『anone』ポスター (c)日本テレビ

 身寄りのない少女が、ある女性との出会いをきっかけに、見ず知らずの人たちと“疑似家族”を形成していく物語。端的に言うならば、『anone』とは、そういうドラマだった。日雇いのアルバイトをしながらネットカフェで暮らす、天涯孤独な19歳・ハリカ(広瀬すず)、夫に先立たれたあと、娘とも絶縁状態にある60代の女性・亜乃音(田中裕子)、医師から余命半年であることを宣告され、店主を務めるカレーショップを畳んだばかりの男性・舵(阿部サダヲ)、そして、そんな彼のもとに突如現れた謎の女性・るい子(小林聡美)。それぞれに思い出したくない過去を持つ、家族はもちろん共同体からも見放された彼女たち4人は、ひょんなことからひとつ屋根の下に暮らし始めるようになり、やがて“家族”のような絆を育んでゆくのだった……。

 一方、『万引き家族』で描かれるのは、高層ビルの谷間に取り残された狭い平屋で暮らす、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹・亜紀(松岡茉優)、そしてこの家の持ち主である祖母・初枝(樹木希林)の暮らしだ。初枝の年金を頼りに、足りないものは“万引き”で賄いつつも、仲睦まじく暮らしている彼ら。ある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた少女・ゆり(佐々木みゆ)を家に連れて帰ってくる。ゆりの身体に残る虐待の痕を発見し、彼女を自分の娘として育てる決意をする信代。しかし、その選択は、やがて“家族”そのもの崩壊を招くことになるのだった……。

 社会から見捨てられた人々が、身を寄せ合うように、自分たちの“家族”を形成していくという物語。しかも、その繋がりのなかに、なにがしかの“犯罪”が絡んでいるという事実。これら2つの作品は、多くの共通点を持っていると言えるだろう。

第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督

 1962年生まれの映画監督・是枝裕和と、1967年生まれの脚本家・坂元裕二。この2人がそれぞれに生み出す作品が、ある種の“共時性”を持っていることは、何も今に始まったことではない。是枝監督自身、2015年に行った坂元裕二との対談(『是枝裕和 対談集 世界といまを考える 1』[PHP文庫]に収録)の冒頭で、次のように書いている。

「坂元裕二さんも尊敬している現代の脚本家のひとりだ。自分がいま生きていて、何に引っかかるかというポイントがとても自分に近いように思う。特に2010年の『Mother』、11年の『それでも、生きてゆく』、13年の『Woman』などは、題材の選び方にシンパシーを感じた」

 そのまま放っておくと父親、母親になれない人たちが、なろうと努力する物語(『Mother』、『Woman』)。あるいは、加害者になった人間と被害者になった人間の物語(『それでも、生きてゆく』)。是枝監督のフィルモグラフィーで言うならば、それらは『そして父になる』、『DISTANCE』といった作品に相当するのかもしれない。『万引き家族』に出演した松岡茉優、高良健吾、蒔田彩珠、あるいは広瀬すず(『海街diary』、『三度目の殺人』)、真木よう子(『そして父になる』)など、双方の作品に共通して出演する役者も数多い。

 とはいえ、このタイミングで彼らが、相次いで“疑似家族”を中心に据えた物語を描くことになったのは、ある種の驚きであると同時に、非常に興味深い事実でもあった。もちろん、“疑似家族”というモチーフ自体は、それほど珍しいものではない。むしろ、家族の紐帯が弱まっている現代においては、ひとつの“定番”って言っても良いモチーフだろう。しかし、『anone』と『万引き家族』で描かれる“家族”は、いずれも普通の“家族”ではなかった。今年、カンヌ国際映画祭の審査員長を務めた女優、ケイト・ブランシェットの言葉を借りるならば、彼/彼女たちは、いわば“インビジブル ピープル(目に見えない人々)”とも言うべき存在なのだから。

 “インビジブル ピープル”……受賞式でその言葉を耳にした是枝監督は、自身のホームページに「『invisible』という言葉を巡って」と題した長文エッセイを書き記している

「『インビジブル ピープル』と審査員長のケイト・ブランシェットは授賞式の冒頭で口にした。その存在に光を当てることが今回の映画祭の大きなテーマだった、と。(中略)確かに『万引き家族』で僕が描こうとしたのも普段私たちが生活していると、見えないか、見ないふりをするような『家族』の姿だ。その生活と感情のディテールを可視化しようとする試みが今回の僕の脚本の、そして演出の柱だったとケイトさんの言葉に触れて改めて思い出した。そして、そのスタンスは14年前の『誰も知らない』とも通底している――と、自分では今回の作品を分析していた」

 さらに是枝監督は、日本における「共同体」の変化について、次のように書いている。

「日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増え脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体『地域』『企業』『家族』からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである」

 3つの共同体からこぼれ落ちた人々が、互いに身を寄せ合うようにして、“家族のようなもの”を形成する。それはときに、通常の家族以上に家族的な“仲睦まじさ”や“親密さ”を、観る者の心に感じさせるのだった。なぜか? 『万引き家族』のなかで、信代と初枝のこんなやり取りがある。「選ばれたのかな……、私たち……」、「親は選べないからね。普通は」、「でも……こうやって、自分で選んだほうが強いんじゃない?」、「何が?」、「何がって……キズナよ、キズナ」、「あたしも、あんたのことを選んだんだよ」。

 そう、彼/彼女たちは、自らの意思で、主体的にそれを選んでいるのだ。それは、ドラマ『anone』で形成される“家族”もまた同じだった。それにしてもなぜ、このタイミングで彼ら2人は、そんな“目に見えない人々”を可視化させようとしたのだろうか。それが、ある種の“時代性”、あるいは“社会性”を反映しているから? 確かにそうかもしれない。『anone』のキャッチコピーになぞらえるなら、“ニセモノの絆”を描くことによって、“ホンモノの絆”の意味を改めて世に問うてみたのかもしれない。『そして父になる』ではないけれど、大事なのは血の繋がりなのか、それとも一緒に過ごした時間なのか。否、それはあくまでも、結果論に過ぎないのだろう。彼らの出発点は、もっと他の場所にあるような気がしてならない。

      

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