人間は生きる価値がない存在なのかーー『猿の惑星:聖戦記』が暴く、人間の傲慢な意識

 猿が支配する惑星に降り立った宇宙飛行士の災難を描いたSF映画『猿の惑星』(1968)。その大ヒットによって製作された続編シリーズは、1973年までに5作も続いている。2011年に第1作が公開された、地球が猿の惑星になるまでを描く、新しい『猿の惑星』三部作。このシリーズも、ついに本作『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』にて堂々の完成を迎えた。ここでは、本作を中心に内容を掘り下げ、この新しい超大作シリーズが何を描こうとしたのかを深く考えていきたい。

名優の演技にまで到達した猿映画

 猿が人間に成り代わって地球に文明を築いていく一大叙事詩。これを描くにあたって懸念されたのは、果たしてそんな映画に人間の観客が感情移入できるのかという点であった。この難題を乗り越えるため大きな役割の一つを果たしたのが、「モーションキャプチャー」という、CG(コンピューター・グラフィックス)でかたちづくられたキャラクターに生身の役者の動きを同期させていくという技術だった。これはデータによって作られた、人間とは骨格のレベルから異なる体型の「着ぐるみ」のなかに役者を入れるという行為である。

 本作『猿の惑星:聖戦記』では、とくにシーザーの顔の表情が印象的だが、これは実際に役者の顔の表情筋の動きを読み取ってキャラクターに反映させてある。CGは「何でも表現できる魔法のような技術」だと漠然と思われているようなところがあるが、CGアニメーターは演技の専門家というわけではない。CG実写映画にリアリティや感情を持ち込む手法としては、役者が活躍するモーションキャプチャーは合理的だといえよう。 この生身の役者とCGアニメーターが協力して作り上げる新世代の着ぐるみによって、映画は今までにない飛躍的表現のなかに、従来の説得力を加えることに成功したといえる。

 三部作を通して、主人公“シーザー”を演じるのは、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズに登場した“ゴラム”をモーションキャプチャーで演じ、さらに『キング・コング』(2005)や『GODZILLA ゴジラ』(2014)も担当した、「モーションアクター」の第一人者であるアンディ・サーキスである。身体全体で感情を表現する彼の熱演によって、映画におけるCGキャラクターの表現は各段に進歩したといえる。近年の映画作品へのモーションアクターとしての功績から、「サーキスにアカデミー主演賞を」との声もよく聞かれる。

 そんな声が上がるのももっともである。本シリーズでサーキスが演じるシーザーからは、エイプ(猿)たちの指導者としてのカリスマや、虐げられる者の怒り、知性や気品が伝わってくる。『アラビアのロレンス』などの歴史超大作や、西部劇やヤクザ映画における、ヒーローの生き様や哀愁までが、そこに刻印されているように見えるのだ。高倉健やクリント・イーストウッドがそうであったように、「シーザーさん、かっこいい…」と、観客が憧れる対象に十分なり得ているといえるのである。

 本作のマット・リーヴス監督による、2作目の『猿の惑星:新世紀(ライジング)』では、人間への復讐心から、銃撃など過激な暴力に及ぶ“コバ”という猿がとくに活躍する。英国の役者トビー・ケベルが演じた、この猿は理想的な指導者の素養を持っているシーザーとは異なり、人間との全面戦争を引き起こそうとする破滅に向かう存在で、ギャング映画『民衆の敵』のジェームズ・キャグニーや、『仁義なき戦い 代理戦争』の渡瀬恒彦のようなギラついた魅力を見せる。こちらはこちらで、「コバさん、かっこいい…」と思ってしまう。本作『聖戦記』では、シーザーの精神のなかに、このコバが棲みついて、シーザーを破滅への道へと進ませようとする。

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